2024年4月21日



「天国の桁違いの値打ち」(要約)


新約聖書:マタイの福音書13章44〜46節



この例え話(隠された宝と貴重な真珠)は、天の御国は、それを見つけた者が自分の全財産を売り払ってそれを手に入れようとさせるくらい大きな喜びを与えてくれるということを私たちに伝えています。ここでは、イエス様の救いについて、求道者のAさんがクリスチャンのBさんに質問して、Bさんがそれに答えるという対話形式で説明したいと思います。


(1)まことの神について(第一条 神について)

A、Bさん、あなたの信じている神様について教えてください。

B 、私の信じている神様はまことの神様です。この方は全知全能の方で、どこにでもおられ、永遠の霊であられる方。聖く正しく真実で、恵み深く愛の方、そして賢く善なる方です。(ルターの小教理p37)

この方は三位一体と言って(ルターの小教理p38)。父なる神、子なる神、聖霊なる神と呼ばれ、同時に全てにおいて完全に等しく、一つであられるお方です。

この神様が世界を創り人間を造られたのです。そして自分が造った人間に関わろうとする神様です。

A「この私にも関心を持ってるのですか。」

B、はい、あなたにも関心を持っているのです。


(2)人間とはなんだろう?(第2条 原罪について)

A、これまで、この神様のことは知りませんでした。キリスト教では、罪ということをよく言うので近寄りがたく感じます。

B、それは原罪からくるのです。最初の人間アダムは罪を犯して神様から離れてしまった。そのため全部の人間は生まれながら神様に頼らない。畏れない。神様はいらない。そういう原罪を持って生まれてきます。それで神さまのもとに行かないのです。(詩篇51:5、ローマ5:12、ルターの小教理p34)。


(3)神の御子について(第3条)

A、神様と人間の関係が壊れてるということですか。

B、その通りです。でもその神様はご自分の造られた人間を愛して関わりたい。そこで神様ご自身であるイエス様が人間の姿をとって、人間を救うために、この人間の世界に下りてきてくださいました。(ヨハネ1:1?18)人間にならなければ人間と話ができないし、人間を救えません。神は、人となって下りてきてくださり、十字架で私たちの罪、神から離れていたあり方や生き方全部を赦してくださったのです。そしてこのイエス様をまことの神であり救い主と信じた人に、赦しといのちをくださるのです。(ヨハネ3:16)


(4)キリストの赦しといのち (第4条 義認について)

A、どうすれば、その赦しといのちを頂くことができるのですか。

B、神様が差し出して下さるものを受け取るためには手が必要です。

A、その手とはなんですか。

B、信仰です。(使徒2:21) 神のひとり子イエス様があなたのために死んでくださり、よみがえって、あなたに罪の赦しといのちを差し出してくださった。それを感謝して空の手で受け取れば、罪と死から、永遠の滅びから救われるのです。この空の手を信仰といいます。このとき、あたかも自分が罪を一回も犯したことがない者として認めていただけるのです。(Uコリント5: 21)

A、イエス様を信じるだけで私の罪が赦され、神様の前に義と認められるというのですか。良い人間にならなくていいのですか。他の宗教は救われるために善い行いやお布施を差し出したり、修行をしたりします。

B、要りません。イエス様の側で全部やってくださったのです。もしあなたが誰かからプレゼントをもらって、プレゼントなのに、その人にお金を払いますと言ったらかえって失礼でしょう。これを信仰義認と言います。(エペソ2: 8)


(5)説教の職務について(第5条)

A、どうしたらイエス様を信じる気持ちになれるのですか。

B、聖霊と言う神様が全部お考えになっています。聖霊は、説教のみことばと聖礼典を準備し、牧師を通して差し出してくださるのです。(使徒20:28)聖霊は、あなたの一番良い時にイエス様を信じたいという思いを与えてくださいます。

A、無理に信じなくてもいいんですね。

B、そうです。(ヨハネ3:5)信じることができるのは神様の贈り物です。あなたが信じたいと思う時は神様が決めておられます。だから安心して教会に来てください。説教を聞きに来てくださいね。

 

(6)信仰持つと生活はどう変わるのだろう?(第6条 新しい服従について)

A、クリスチャンになると、生活が窮屈になりませんか。

B、たくさん物をもらったらおすそ分けしませんか。恵みを受けると誰かに与えたくなります。イエス様に救っていただいたということがわかると、喜んで隣人を愛したくなります。信仰に愛が続きます。私たちは救われるために誰かを愛したり、神様に受け入れてもらうために頑張るのではないのです。神様が受け入れてくださったので、私も誰かのために生きていこう。赦してもらったので赦せるようになるのです。(ガラテヤ5:22、23)


(7)教会

(第7条教会とその一致、8条教会の現実について)

A、教会とは何をするところですか?

B、キリスト教会では毎週礼拝があります。そこでは、説教と洗礼と聖餐という恵みが会衆に差し出されます。クリスチャンは礼拝に出て、福音によって神様から魂の休息をいただくのです。(ヨハネ10:27)「全て疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(ヨハネ11:28)教会は、世界で唯一罪の赦しを与えるところです。

A、教会に行けば、神様のことを教えてもらえますか?

B、はい、希望する方に学び会を行います。十戒と使徒信条です。十戒は、人はどうあるべきか、何をすべきですべきでないかを教えます。使徒信条は、三位一体の神様が、どのようなお方で、人間のためにどのようなことをしてくださったのかを教えます。ぜひいらして下さい。

注)

・ルーテル同胞聖書神学校公開講座(講師:銭谷幸器先生)の「改定されないアウグスブルク信仰告白」講義ノートをもとにしました。

・「ルターの小教理」とは、「ルターの小教理問答書の解説」のことです。



説教者:加藤 正伸 長老



<マタイの福音書 13章44〜46>

44 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。

45 また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。

46 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。