2024年4月7日



「あなたはわたしを愛しますか」(要約)


新約聖書:ヨハネの福音書21章(全)1節〜25節




1、ガリラヤの朝


弟子たちは、復活したイエス様にお会いした後、イエス様から言われた通りガリラヤに戻ります。あるときペテロは他の弟子たちと漁に出かけました。夜通し働きましたが何も取れません。夜が開け始めたとき、岸辺から誰かが自分たちに「子供たちよ、食べる魚がありませんね」と呼びかける声がします。「ありません」と答えると、その人は彼らに言いました。「船の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れます。」その通りにすると、おびただしい数の魚がかかり、弟子たちは網にかかった魚を船に引き上げる事ができませんでした。

この時、ヨハネがペテロに言います。「主だ。」それを聞いたペテロは、裸に近かったので上着をまとって湖に飛び込みました。他の弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻ってきました。彼らが陸地に上がると、すでに炭火が起こされ、魚もパンもあります。朝食のためのすべてのものが用意されていたのです。イエス様は、弟子たちに「今捕った魚を何匹か持ってきなさい」と言われ、ペテロが持ってきた魚を受け取られました。すべてのものは、イエス様が与えてくださったものですが、弟子たちが取ってきた魚を喜んでくださったように、主は私たちの献金や奉仕を喜んでくださいます。



2、「あなたは、わたしを愛しますか」


@謙遜になったペテロ

食事が終わった時、イエス様はペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上にわたしを愛しますか。」と尋ねます。十字架にかかる前のペテロは、弟子たちのリーダー的な存在でしたが、主への献身においては他の誰よりも勝っていると自負し、それを他の弟子の前で誇る短所もありました。「たとえ全部のものがつまずいても、私はつまずきません。」(マルコ14:29)「主よ、なぜ今ついていけないのですか。あなたのためなら命も捨てます。」(ヨハネ13:37)

以前のペテロなら「この人たち以上にあなたを愛しています」と答えたかもしれません。しかし、ペテロは、「はい、主よ。私があなたを愛している事は、あなたがご存知です。」と答えます。彼には、かつてのように他の弟子たちと比べて自分を誇る気持ちはありませんでした。十字架で苦しみ死なれたイエス様を見て、復活されたイエス様にお会いして、聖書(イザヤ書53章、詩篇16:10他)に書かれているキリストがイエス様であることを本当に理解していたからです。

それでもペテロはイエス様から三度も「あなたはわたしを愛しますか」と尋ねられたとき、心を痛めます。イエス様がユダヤ人たちに捕らえられた夜、「あの人の弟子ではないか」と三度尋ねられ三度とも知らないと言ったことが関係しているかもしれません。ペテロはイエス様に「あなたは全てをご存知です」と答えました。このことばから私たちは、ペテロが自分の弱さを認め、受け入れていることがわかります。強がりを言っても、本当は臆病な自分、また失敗するかもしれない自分を認めているのです。


A イエス様とペテロの愛の関係

イエス様はなぜ三度尋ねたのでしょう。もちろんペテロを困らせるためではありません。「あなたはわたしを愛していますか」という問いかけは、「わたしはあなたを愛している」ということばを含んでいるのです。イエス様は、ペテロのご自分との愛の関係を整えるために3度繰り返されたのです。


Bペテロの召命

イエス様は「わたしの羊を飼いなさい。」とペテロに言われました。わたしの羊とは「キリスト者の群れ」のことです。主イエス様は、牧師の説教と、洗礼、罪の赦しの宣言を通して教会を治めます。ですから教会にとって牧師と言う職務はとても大事な職務なのです。私たちは教会に牧師が与えられるように祈っていきましょう。

パウロは、牧師の職務について次のように記しています。「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」(使徒の働き20:28)



3、「あなたは、わたしに従いなさい。」


この時イエス様とペテロにヨハネがついてくるのが見えました。ペテロは「主よ、この人はどうなのですか。」と尋ねます。彼も自分と同じような運命を辿るのですかと、ヨハネを心配したのです。イエス様はペテロに「わたしが来る時まで彼が生きるようにわたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」と言われました。これは「他の人がどうでもあなたは従がってきなさい」という意味です。

その後ペテロは、使徒の働きに見るように教会の柱として重んじられ、主を愛する者として主の羊たちに仕えたのでした。そしてローマの火事の責任をキリスト者たちに擦りつけた皇帝ネロにより、AD 68年に殺されたと言われています。

ヨハネは、エルサレムがAD 70年に破壊された後はエペソに移り、そこで多くの反キリストと戦いました。黙示録2〜3章にあるように、当時の教会は異教の教えによって荒らされていたからです。ヨハネはAD 95年パトモス島に流され、そこで黙示録を書きました。このようにイエス様に従う二人の道は違ったものでした。私たちもイエス様に従う道はそれぞれ違います。ですから他の人のことが気になったときは、まずその人の祝福のために祈りましょう。



4 勧め


皆さんの中に、どのように教会生活を送れば良いのか、献金や奉仕はどうしたら良いか悩む方がいらっしゃるかもしれません。まず私たちにとって大切なことは、自分のために御血を流し、いのちを捨ててくださったキリストの愛を思い起こすことです。そのとき主は、一人一人に主に従う道を示して下さいます。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ15: 9)「あなたは、わたしを愛しますか。」


説教者:加藤 正伸 長老




<ヨハネの福音書 21章1〜25節>

1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現された。その現された次第はこうであった。

2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。

3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。

4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。

5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」

6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。

8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。

9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。

10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」

11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。

12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。

13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。

14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。

15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。

21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」

22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。

24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。

25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。*五・三異本に三節後半、四節として、次の一部または全部を含むものがある。「彼らは水の動くのを待っていた。主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。」*七・五三古い写本のほとんど全部が七・五三−八・一一を欠いている。この部分を含む異本も相互間の相違が大きい。