2024年3月31日



「復活の主はあなたに声をかけられる」(要約)


新約聖書:ヨハネの福音書20章1節〜29節




1、復活の主は私たち一人一人に声をかけられる


復活の朝は、慌ただしく始まりました。マグダラのマリアたちは朝早く暗いうちに墓に行きました。しかししばらくして青ざめた顔で帰ってきました。「誰かが墓から主をとっていきました。どこに主を置いたのか、私たちはわかりません。」

ペテロとヨハネが急いで墓に向かうのを見て、再びマリアは墓に戻り、ただ泣いていました。泣きながら体を屈めて空の墓の中を覗くと、白い衣を着た人が2人、イエス様の体が置かれていた場所に座っています。「女の方、なぜ泣いているのですか?」という問いに、マリアは、「誰かが私の主をとって行ったのです。どこに主を置いたのかわかりません。」と答えます。

そう答えてから後ろを振り向くと、男の人が立っていました。その人がマリアに「なぜ泣いてるのですか。誰を探しているのですか。」と尋ねます。彼女は園の管理人だと思い、「あなたがあの方を運び去ったのなら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」その時、彼女はイエス様の「マリア」という声を聞きます。彼女はヘブル語で「ラボニ」(先生)と答えます。

主は、マリアの心をご存知でした。イエス様のからだがなくなってたので泣いていることも、イエス様のからだを探していることも。その上でイエス様は声をかけられたのです。

この箇所から私たちは、自分の思いを率直にイエス様に伝えることの大切さを知ります。「牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついていきます。彼の声を知っているからです。」(ヨハネ10:3、4)

次にイエス様は部屋の中にいる弟子たちに声をかけられました。「平安があなたがたにあるように」と言われ、釘を打ち付けられた両手と槍で刺された脇腹を彼らに見せ、イエス様ご自身であることを示されます。

この時の弟子たちは、イエス様の死を悲しみ、失望、落胆し、これからどうしていいか、ただただ不安でした。それだけではありません、ローマ帝国の権威に背く罪により死刑になったイエス様です。その弟子ということでユダヤ人たちが捕まえに来るかもしれないと恐れていました。しかし主はその弟子たちの恐れや不安をよくご存じで「平安があなたがたにあるように」と言われたのです。

今も、不安や恐れのある信徒に、主はご自分が共にいることを示し、主の平安を与えてくださいます。

次に主は、トマスに声をかけられました。トマスは、誠実で勇気のある人物だったようですが、悲壮的に考える性格だったようです。他の弟子たちから「私たちは主を見た。」と聞いても、彼は自分の目で見て触って確かめるまではどうしても信じることができません。そのトマスに主は現れて「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。」と言いました。主は、トマスの性格をよく知っておられ、どこまでもトマスのことを気遣っておられたのです。今も主は、私たち信徒一人ひとりのことをよくご存知であり、語りかけてくださいます。



2、復活の主は私たちに本当の喜びを与えて下さる


イエス様から名前を呼ばれたマリアの喜びは、どれほどだったでしょう。イエス様からことばをかけられた時のトマスは、嬉しくて、泣きながら「私の主。私の神よ。」と言ったのではないかと思います。部屋の中に閉じこもっていた弟子たちもきっと大喜びだったに違いありません。

「しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」(ヨハネ16:22)



3、復活の主は、私たち信じた者達を遣わされる


イエス様は弟子たちに、「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われました。「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」これは罪の赦しの福音です。主は私のすべての罪を赦してくださった。ここに赦された私がいる。ですから、主を信じる者はみな遣わされているのです。幼児も寝たきりのご老人も、みなイエス様を証しする人として主に遣わされているのです。



4、「見ないで信じる者の幸い」


マクダラのマリアから、主のよみがえりを伝えられた弟子たちは、はじめは「戯言のように思え」信じませんでした。イエス様が現れて初めて信じたのです。イエス様はトマスに「見ないで信じる人たちは幸いです。」と言われましたが、トマスだけでなく弟子たちにも言われたのです。弟子たちだけではありません。すべての人に、見ずに信じる者の幸いを伝えているのです。主は、私たちが見えるものによらず、信仰によって歩むことを望んでおられます。(Uコリント5: 7)

ヘブル人への手紙11: 1「信仰は、望んでいることを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」


勧め

主イエス様は、あなたのため、私のために十字架につけられ、その罪を贖うためにその貴い血を流されました。イースターの朝、その主が甦りました。そして今、主イエス様は信じる私たちとともにおられます。あなたは信じますか。

今主はあなたの心の戸を叩いておられます。心の戸を開けて主をお迎えしましょう。そして自分の心の底にある思いや願いを主にお話ししましょう。それは病気の癒しかもしれません。家族との関係かもしれません。先の不安かもしれません。信仰のことかもしれません。主は答え、主を信じる者の心を主の平安で満たしてくださいます。主の御声に従っていきましょう。



説教者:加藤 正伸 長老



<ヨハネの福音書 20章1〜29節>

1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」

3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。

4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。

5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。

6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、

7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。

8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。

9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。

11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。

13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。

15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」

16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。

17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」

18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。

21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。

26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。

27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」