2023年12月31日



「真理の御霊に導かれて」


新約聖書:ヨハネの福音書16章1節から16節



さて16章までにイエス様は聖霊について次の3つのことを話されました。第一に、聖霊は助け主、真理の御霊であり、その方が弟子たちと共に住むということです。(14章16、17節)第二に、聖霊はこれまでイエス様が話したすべてのことを教え、思い起こさせてくださるということです。(14章26節)第三に、聖霊はキリストについて証しするということです。

そして16章で、イエス様はこの助け主、真理の御霊が「世にその誤りを認めさせる」方であるということを語ります。「その誤りを認めさせる」とは、罪と義とさばきについてのこの世の人たちの判断が根本的に間違っていることを明らかにするということです。

罪についてとは、自分たちには罪がないという世の人たちの考えが誤りであると言うことです。罪がないのはただ1人、イエス様だけです。私たちのうちには罪があるのです。そして私たちの罪を贖うお方はイエス・キリストです。

義についてとは、人は努力によって義となるのではないということです。義である方はただイエス様だけです。

さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。「この世を支配する者」とは悪魔のことです。イエス様は、ご自分の十字架の死によって、死の力を持つ者、悪魔を滅ぼし、私たちを死の恐怖から解放してくださいました。(ヘブル2: 14参照)

「義」についてもう少しお話しします。私たちが義とされるのは、イエス・キリストを信じる信仰によります。私たちはあたかも罪がないと見做されているのです。義はあくまでも私の外の義です。実際には私たちには罪がある。しかし古い罪の自分は死に向かっています。同時に新しい自分が宿っています。これがクリスチャンです。神様から義としていただいたのだから、立派なクリスチャンになるよう努力しよう。今だめなクリスチャンなのは、まだ努力が足りないからだと考えるのは間違いなのです。

ルターは次のように述べています。「私の心の中には、信仰とか愛とか呼ばれるものは何一つない。ただキリストご自身をそこに置いて「ここに私の義がある」と言い聞かせることである。」私たちは、自分の信仰を土台として判断しないようにしましょう。

13節は、15章26節と同じです。真理の御霊はイエス様について証しします。イエス様はご自分を「道、真理、いのち」ですと言われました。(ヨハネ14: 6)。真理の御霊は、私たちをイエス様に導き入れてくださるのです。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、またやがて送ろうとしていることを私たちに示してくださいます。

弟子たちは、ペンテコステの後、大胆にイエス様を証しするようになります。なぜでしょうか。それは、弟子たちが、御霊の導きによって、イエス様が自分たちに話して下さったすべてのことを思い起こし、理解できるようになったからです。しかしこれは初代教会の時だけに限りません。いつの時代も、聖霊は信じた人々の心に働きかけ、イエス様のことを理解できるように導いてくださいます。

14節では、御霊はイエス様の栄光を現すと書かれています。イエス様のものを受けて、私たちに伝えてくださるからです。ある牧師は「私たちのうちに御霊が働いているかどうかは、私たちがキリストに栄光を帰しているか、高めているか自分を吟味すればわかる。」といいます。自分の能力や、自分の素晴らしさを人に印象づけるような言い方や態度は、御霊が働いているとは言えないからです。

16節は、イエス様の十字架と復活について述べています。イエス様は復活ののち弟子たちのところに戻ってきました。その時弟子たちの悲しみは非常な喜びに変わりました。

クリスチャンには助け主であり真理の御霊が与えられています。この御霊は、私たちと共に住み、私たちにイエス様のことを教えてくださいます。同時にこの方は、罪について、義について、さばきについてこの世にその誤りを認めさせる方でもあるのです。

もし私たちに御霊が与えられてなければ、どうして私たちは聖書の言葉がわかるでしょう。もし御霊が与えられていなければ、説教の言葉を聞いて、どうしてアーメンと言えるでしょう。もし御霊が与えられていなければ、どうして苦しい時や悲しい時に、イエス様の救いを信じることができるでしょう。御霊が与えられているので、私たちには希望があります。神様が私たちの祈りを聞いてくださることを信じることができます。兄弟姉妹の罪を赦し、祈ることができます。

イエス様がお生まれになった時、星が東方の博士たちを導いたように、真理の御霊があなたを、私をイエス様に導いてくださることに感謝しましょう。




説教:加藤 正伸 長老




<ヨハネの福音書 16章1〜16節>

1 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。

2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。

3 彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。

4 しかし、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしが初めからこれらのことをあなたがたに話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。

5 しかし今わたしは、わたしを遣わした方のもとに行こうとしています。しかし、あなたがたのうちには、ひとりとして、どこに行くのですかと尋ねる者がありません。

6 かえって、わたしがこれらのことをあなたがたに話したために、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。

7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。

10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。

11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。

12 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

14 御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

15 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

16 しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」