2023年11月19日



「救いと律法」


新約聖書:ローマ人への手紙8章1節〜11節



1 宗教改革と悔い改め


宗教改革は、ルターが、ヴィッテンベルク城教会の扉に「95箇条の提題」を提示した日に始まります。その提題の第一条は「私たちの主であり師であるイエス・キリストが「あなた方は悔い改めなさい」と言われる時、イエスは信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである。」です。ルターは、「いくら罪を犯したくないと思っても、罪を犯さずにはいられない。人間はそういうものだ。しかし、毎日の一時一時を心から悔い改めるならば、イエス様がいて下さる。」と言います。キリストを信じてバプテスマを受けた私たちも、日々の罪の悔い改めが必要です。その罪を罪として示して下さるのが律法です。



2 自然律法と道徳的律法


神様は、人を創造された時、人の心の中に律法を書きつけられました。これを自然律法と言います。しかし、人間の堕落によって、私たちの良心、すなわち善悪を判断する能力は大きく損なわれ腐敗しました。このように人間が堕落した状態であること、心が腐りきっていることは、神から道徳的律法を提示されるまで分かりません。神から提示された道徳的律法、それが十戒です。



3 十戒を守らなくても赦される?


ローマ人への手紙6章に、当時クリスチャンの中に、罪を犯しても既に救われているのだから気にしなくて良いと考える人がいたようです。パウロは、その考え方が間違っていることを指摘し、私たちがバプテスマを受けたのは、キリストのよみがえりのいのちにあって、新しい歩みをするためだと説明します。(6:1〜4)

「いのちにある新しい歩み」とは何でしょう。それは、イエス様が完全に十戒を守ってくださった、また十字架で私の罪の罰をすべてその身に引き受けてくださったので、十戒に従うという生活です。

十戒は、神様がすべての人間に守るように求めておられるものです。クリスチャンも例外ではありません。イエス様も、マタイの福音書22章37節から40節で、律法を守るべきことを話されました。この箇所をルターは次のように解説しています。「あなたはこういうかもしれない。人間にとってこれらの戒めを守る事は全く不可能だと。その通りだ。あなたには不可能だ。それをすることができない。しかし神があなたのうちにいてそれを行ってくださる。神には不可能なことは無い。」

ヨハネの手紙第一1章 8節は「もし罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、全ての悪から私たちをきよめてくださいます。」十戒が私たちを悔い改めに導き、聖霊が私たちをきよめて下さるのです。



4 「神を恐れる」


もう一つ大切なことは「神を恐れる」と言うことです。イエス様はパリサイ人を攻撃しました。なぜなら彼らが神を正しく恐れずに、聖書の言葉に精通していたたためです。またイエス様はユダヤ人律法学者たちを攻撃しました。神を正しく恐れず、律法に余分な付け足しをしたからです。彼らは民衆の指導者であり、十分の一献金を怠らず、熱心に伝道しましたが、神への恐れがありませんでした。イエス様はそのような彼らを偽善者と呼びました。天地万物を創られた神は、絶対者なる神です。私たちは神を恐れることを軽々しく考えてはいけないのです。



5 ルターの小教理問答書


以上のことをルターの小教理問答書で確認しておきましょう。

十戒の一つ一つの解説には「私たちは神を恐れ愛さなければなりません」と書かれています。

問6「律法とはなんですか」(答え)あなたへの神の要求です。神の前におけるあなたのあるべき姿を教えます。

問69「なぜあなたは十戒を守るのですか。(答え)(1)神を恐れ、信頼するからです。(2)神の恵みと幸いを願うからです。

問72「十戒を完全に守れない私たちは、どうなりますか。(答え)神に裁かれ永遠の滅びに定められます。

問73「永遠の滅びから逃れる道はありますか。(答え)はいあります。憐れみぶかい神が私たちに与えてくださった逃れ道は、キリストです。(1)キリストは、私たちの身代わりとなって、十戒を完全に守ってくださいました。(2) キリストは、私たちの身代わりとなって、罪の罰を残らず受けてくださいました。」


「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにあるものが罪に定められることは決してありません。」(ローマ人への手紙8章1節) 私たちは完全に救われています。神を恐れ愛しましょう。心の中で兄弟姉妹をさばかないようにしましょう。イエス様に救われたことに感謝し、日々罪を悔い改め、十戒に従って歩んでいきましょう。



説教:加藤 正伸 長老



<ローマ人への手紙 8章1〜11節>

1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。