2023年10月29日



「天の勝利の教会」


新約聖書:第一コリント15章16〜20節



1 故伊藤良雄先生の思い出


今日は召天者記念礼拝です。はじめに、この教会の初代牧師である故伊藤良雄先生についてお話しします。

第一に、先生は、信徒一人ひとりに寄り添い、祈りと涙をもって支えて下さる方でした。第二に、いつも信徒のことを考え、楽しませてくださる方でした。ご夫妻の讃美をはじめ、バイオリンやノコギリ演奏、笛、オカリナで賛美を次々に演奏してくださいました。信徒の記念日には水墨画に聖句を入れてプレゼントしてくださいました。

第三に、常に初心に帰ることを大切にされました。先生ご家族が上京され開拓伝道を始めたときは、教会は、先生ご夫妻と故海老沢兄ご夫妻、数名の兄弟姉妹でしたが、その後会員数70名を数えるまでになります。しかし10年ごとに行う記念集会では、いつも最初に掲げた教会ビジョンを大切にされていました。

この先生に天国でお会いするのを楽しみにしている信徒の方も多いのではないでしょうか。では天国とはどのようなところでしょう。



2 勝利の教会


信仰者は、死ぬと、この世の煩いと労苦と働きから解放されます。もはや「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいる諸々の悪霊に対して」戦うことはなくなり休息のうちにいます。(エペソ6: 12) そしてキリストの再臨の時を待ちつつ、神に生かされ、神を賛美しているのです。

主イエスが、ラッパの響きのうちに天から下ってこられるとき(ヨハネ5: 28 、Uテサロニケ4:16)、天に召された方々が先ず初めに甦り、次いで生き残っている私たちもキリストご自身の栄光と同じ姿に変えられ、一緒に雲の中に引き上げられ空中で主と会うのです。このキリストの再臨こそ、私たち信仰者の希望の焦点です。この時私たちは先生たちとお会いするのです。

私たちの体は、この時キリストが復活された時と同じ性質のものに変えられます。もはや病気や障害の跡、すべての災いや悩みの影はありません。「キリストは…御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」(ピリピ3: 21)。信仰者の体は天国で太陽のように輝きます。(マタイ13: 43) 私たちの国籍はこの天にあります。



3 戦う教会


天の教会を「勝利の教会」と呼びます。そしてこの地上の教会を「戦う教会」と言います。教会は、「主権、力、この暗やみの支配者たち、また天にいる諸々の悪霊に対して」戦わなければならないからです。ヨハネの黙示録2章と3章には、初代教会が直面した様々な戦いが書かれています。

エペソの教会はニセ教師や迫害と戦いました。スミルナ教会は、ユダヤ人たちが異邦人とグルになって起こした厳しい迫害と戦いました。ペルガモ教会は、ニコライ宗という誤ったキリスト教の教えと戦いました。テアテラの教会の戦いは、信仰者であっても商売のためには妥協も当然とするニコライ宗の教えや、グノーシス派との戦いです。サルディスの教会では多くの信徒が信仰を失いかけていました。彼らを力づけ、福音を守り通すという戦いです。フィラデルフィアの教会は、ユダヤ人たちから信仰のことで批判や攻撃を受けました。ラオデキアの教会は、物質的にも道徳的にも豊かになったのですが、それは自分たちの努力の賜物だと考え、自尊心や自己満足に浸っていました。それとの戦いでした。

どの教会も、内容は異なりますが、キリストの言葉を守り、福音を守り通すために戦いました。現代の教会も同じです。それぞれの教会にはそれぞれの戦いがあります。



4 勧めの言葉


では私たちの教会はどうでしょう。それは私たちの信仰を失わせようとするこの世、悪魔との戦いではないでしょうか。コロナ禍や牧師の辞任などで、知らず知らずのうちにキリストの信仰から離れてはいないでしょうか。

私たちは、神に愛され、神と共に永遠に生きるように召されました。しかし悪魔は、巧みに、このことを忘れさせようとします。私たちはイエス様の十字架によって、罪と死と悪魔の支配から救われました。十字架によって、自分の欲望、自分自身を神とする性質、自我から自由にされました。十字架によって、肉体は死んでも魂は神と共にあり、新たな体をいただいて永遠に生きるという望みをいただきました。十字架によって、すでに悪魔の支配からキリストの支配に移っています。私たちの国籍は天にあります。

サルディスの教会は、かつては霊的に生き生きとしていましたが、その後衰退しました。戦争や大地震の影響も大きかったようです。しかし御霊はヨハネに、たとえ数人のキリスト者が忠実であっても教会は全体として死んでいると告げます。そして、「あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを固く守り、また悔い改めなさい」と告げられました。そうすれば「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして…彼の名をいのちの書から消すような事は決してしない。」(黙示録3: 5) と言われるのです。

私たちも、伊藤先生のように、常に信仰の初心に帰ることを大切にしましょう。目を覚まして悔い改めていきましょう。すでに、私たちは天の父の子どもなのですから。


説教:加藤 正伸 長老



<コリント人への手紙 第一 15章16〜20節>


15 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

16 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。