2023年9月10日



「あなたの神、主に立ち返れ」


旧約聖書:ホセア書 14章1〜9節



今日は、12章から14章についてお話したいと思います。ホセア書のまとめです。



T.ホセアの結婚生活と北イスラエル王国と神さま


まず、ホセア書は、ホセアの結婚生活と北イスラエル王国と神さまとの関係がオーバーラップされて比喩的に語られる前半部分と、直接的にイスラエルの罪が告発され、国の滅亡という判決が下される後半部分に分けられます。

ホセアの結婚生活を少し思い出してみて頂きたいと思います。ホセアは、神さまの命令により、姦淫の女であるゴメルと結婚します。そして、3人の子どもが生まれます。一人目は男の子で、この子はホセアの子どもでしたが、二人目の女の子と三人目の男の子はホセアではなく、他の男性との子どもであったと思われます。

この出来事は、イスラエルの人々は最初は神さまに従って歩んでいましたが、だんだんと偶像礼拝に傾き、神さまを忘れて偶像礼拝を行い、偶像に生け贄を捧げるようになっていったことを象徴しています。

結婚が、相手に対して不貞を犯さないという契約関係であることは、今も昔も変わらないと思います。これは、神さまだけを信じます、礼拝します、という霊的な契約関係と似ています。神様は、ホセアが姦淫の女と結婚して裏切りにあい、苦しむ様子から、北イスラエル王国の人々に、神さまがイスラエル人から偶像礼拝という裏切りを受け、どんなに苦しんでいるかを比喩的に伝えようとしました。

また、ゴメルの裏切りにより、三人目の子どもが生まれた後、ホセアとゴメルは一旦別居します。これも、イスラエルの裏切り行為による神さまによる裁きが比喩的に象徴されています。しかし、この後、ホセアは完全にゴメルを切り捨てることは無く、奴隷となっていたゴメルを再度買い戻し、妻として迎え入れます。これは、イスラエルの回復の預言とオーバーラップしています。

ホセア書の最後は、イスラエルの回復の預言です。

神さまは、ユダヤ人たちを完全に見限って切り捨てることはなさらず、彼らを回復してくださるということをホセア書の最後の預言の箇所から見て行きたいと思います。



U.ヤコブの信仰との対比


最後のまとめとして、ホセアは、北イスラエル王国の人々に、イスラエル民族の始祖であるヤコブの信仰を思い出させようとしています。

ホセア書12章1節をお読みください。

エフライムとは、北イスラエル王国の10部族の人々のことですが、彼らは神さまから離れた生活をしたために、アッシリヤやエジプトといった大国に拠り頼むようになりました。彼らは神さまへの信仰に堅く立ち、揺るがない国つくりをするのとは逆に、全く拠り所とならないものによりたのんでいました。そのため、人々はむなしい生き方をしていました。

次に、ホセア書12章2節から5節をお読みください。

ヤコブも、神さまからの祝福を受ける前は、まだ胎児の時に、母親のお腹の中で兄のエサウを押しのけたり、狡猾に長子の権利を得たり、長子のための祝福を得るために兄のエサウを出し抜くようなことをしています。ホセアは、北イスラエル王国の人々に、神さまを知らずに生きるなら、あなたたちは悔い改める前のヤコブと同じである、先祖であるヤコブの良くない部分の性質を受け継いでいる、と教えているのです。しかし、ヤコブは神さまに出会い、神さまと闘い、神さまに降伏することで祝福を受けました。

では、創世記28章10節から15節をお読みください。

まず、ここで、神さまはヤコブと一つの約束をしています。それが、カナンの地をヤコブの子孫に与え、ヤコブの子孫は地のちりのように多くなるという約束です。ここで、最後の「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」という神さまの言葉はとても重要です。ぜひ、この言葉を覚えておいて下さい。

次に、創世記32章22節から30節をお読みください。

28章の出来事は、ヤコブがおじラバンの元へ行くときの出来事でしたが、32章の出来事は、レアとラケルと結婚したあと、生まれ故郷へ帰るときのことです。ここで、ヤコブは神さまと戦っています。ヤコブは、神さまから「あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」と言われていますが、勝ったヤコブの方が泣いて(創世記の方には「泣いて」とは書かれていないのですが、ホセア書には「泣いて、願った。」とあります。)、祝福してくれるように願っています。そして、ここで神さまはヤコブを祝福します。

ホセアは、北イスラエル王国の人々にも、ヤコブと同じように悔い改めて神さまに立ち返り、祝福を受けるように促しています。

ホセア書12章6節をお読みください。

神さまは、イスラエル人たちが偶像礼拝をやめて神さまに立ち返るように、何人もの預言者を送り出し、警告してきました。しかし、北イスラエル王国が終焉を迎えるこの時になっても、彼らは自分たちの罪を認めて悔い改めることは無く、神さまに立ち返ることはありませんでした。

そのため、北イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされ、北イスラエル王国の繁栄は終わりを迎えます。すべての北イスラエル王国のイスラエル人が滅ぼし尽くされたわけではなく、いくらかの人々はアッシリヤへ捕囚として連れて行かれました。12章9節の「再びあなたを天幕に住ませよう。」は、折角、エジプトの地から戻って定住できたのに、再びイスラエルの地から追われて出ていかなければならないことを指しています。



V.無知は偶像礼拝につながる


イスラエル人たちの始祖であるヤコブには、人を欺くような悪い性質がありました。しかし、彼には、どこまでも神さまを捜し求め、神さまと戦ってでも祝福されようとする信仰がありました。

私たちも、クリスチャンになったからといって、元々持っている人としての悪い性質が急に無くなるわけではありません。でも、ヤコブのように神さまを捜し求めて知ろうとしているうちに、だんだんと神さまに良い性質に変えられていきます。もし、何十年もクリスチャンをやっているけど、変わっている実感が無いなぁと思うことがあっても、それは、少しずつ変えられているので、自分では気付きにくいのかもしれません。大抵は、急に変わるのでは無くて、長い時間を掛けて少しずつ変えられていくように思います。

ホセアの時代の北イスラエル王国の人々は、神さまのことを人々に教えなければならないはずの祭司たちがまず堕落して、人々に神さまのことを教えなくなりました。そして、人々は神さまについて無知になっていきました。

神さまについて無知になると、何が起こるのかというと、偶像礼拝です。

北イスラエル王国の人々は、神さまのことを教えてくれるはずの祭司たちがまず堕落したため、神さまについて無知になっていたので、偶像礼拝を止めることができませんでした。

ホセア書13章4節から6節をお読みください。

北イスラエル王国の人々は、神さまのことを忘れて偶像礼拝を始め、繁栄の時代を経験すると、それを神さまの祝福だと思うのでは無く、自分たちの力だと思いました。

これは、私たちも注意しないといけないことなのですが、悪いことが起こると、神さまに「何故なのですか?」とつぶやき、良いことが起こると自分の力だと思ってしまうことがあります。しかし、私たちは良いときでもわるいときでも神さまに感謝することを忘れてはいけないと思います。

そのためには、何が必要なのでしょう。

それは、日ごとに神さまに祈り、聖書を読むことです。ホセアの時代には、私たちが持っているような聖書はありませんでしたから、一般の人たちが神さまのことを知るには、祭司職の人たちに教えてもらわなければなりませんでした。なので、祭司職の人々の堕落は、民族全体の堕落につながっていました。しかし、今、私たちには聖書があります。もちろん、礼拝の時に説教者からみことばの解き明かしを聞くことは大切なことですが、自分で聖書を読んで、神さまのことを知ることができるのは、なんと幸いなことでしょう。

また、今は、聖書を読むための手引きも色々出ていますので、そういうものも私たちの助けになります。



W.回復が預言されている


北イスラエル王国はアッシリヤに、南ユダ王国はバビロンに滅ぼされ、イスラエル人の国は無くなりました。人々は捕囚の民となりました。しかし、バビロン捕囚から100年も経たないうちに、イスラエル人たちは自分たちの国に帰ることが許され、神殿の再建も許可されました。

ホセア書では北イスラエル王国の人々の神さまへの裏切りが糾弾され、国の滅びが預言されていると共に、イスラエル人たちの国が回復されることの預言もところどころに挿入されています。捕囚からの解放と神殿の再建によって、すでに部分的には回復の預言が成就していると思われます。また、当時のイスラエル人は、捕囚からの解放を預言の成就だと思ったのではないかと思います。

しかし、ホセア書のイスラエル人の国の回復の預言は、それだけに留まるものではありません。これは、まだ成就していない預言でもあります。では、イスラエル人の国の回復とはなんでしょうか?それは、イエス様の再臨と神の国です。

ホセアの預言は偶像礼拝をして神さまを裏切った北イスラエル王国の人々へ向けたものだと思いながら読んできたと思いますが、14章1節の「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。」という言葉は、私たちに向けたものでもあるのです。神さまは、イスラエル人だけでなく、私たちにも、「主に立ち返れ」と招いておられます。

ホセアとゴメルが一度は別居して離れたように、イスラエル人も一度は国が滅び捕囚の民となることを経験しましたが、ホセアがゴメルを探し出して奴隷から買い戻したように、神さまも、神さまの方からイスラエル人を探し出して、「あなたの神、主に立ち返れ。」と招いてくださっています。それは、「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」というヤコブとした約束を守るためでもあります。イスラエル人は神さまをひどく裏切りましたが、この神さまとヤコブとの約束があるので、神さまは何人もの預言者をイスラエルに送り、偶像礼拝から悔い改めさせようとしたのです。さらに、悔い改めた人々をイスラエルに戻し、神殿の再建もさせました。

そして、これから成就するイエス様の再臨の預言に対しては、私たちも「主に立ち返れ」と招かれています。私たちはその招きに応じたいと思います。

神さまは、私たちに幼子のような素直な信仰を求めておられるところがありますが、神さまに対して無知であっても良いとはおっしゃっていないのです。無知であれば偶像礼拝に陥りやすくなります。知らずに偶像礼拝に陥らないように、毎日祈って聖書を読み、神さまのことを日々知っていくことは奨励されています。

私たちが自分の配偶者や恋人が他の人と浮気をしたら悲しく苦しい気持ちになるのと同じように、私たちが偶像礼拝をすれば、神さまを悲しませることになります。そうならないように、いつも、神さまに祈って聖書を読むことが大切です。

また、イスラエルの回復の預言には、これから成就するイエス様の再臨と神の国も含まれています。そして、それには私たちも招かれています。いつでもその招きに応じることができるように、日々準備していければと思わされます。

最後に、ペテロの手紙第二 3章9節から13節までをぜひ、お読みいただければと思います。



説教者 菊池 由美子 姉



<旧約聖書 ホセア書 14章1〜9節>

1 イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。

2 あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。

3 アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」

4 わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。

5 わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。

6 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

7 彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。

8 エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。

9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。