2023年9月3日



「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」


新約聖書:ヨハネの福音書13章1〜20節



1 全体のアウトライン


過越の祭りの前、イエス様と12弟子は2階の広間で夕食をします。イエス様は、夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれ、たらいに水を入れて弟子たちの足を洗い、手ぬぐいで拭き始められます。

「足を洗う」とは、本来その家の奴隷がすることです。ですからペテロはイエス様に「主よ。あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」と言います。それにイエス様は「わたしがしている事は、今はあなたにはわからないが、後でわかるようになります。」と答えられます。ペテロが「決して私の足を洗わないでください。」と言うと、イエス様は「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もない。」と言われます。イエス様との関係が無くなるのを恐れたペテロは、「主よ。私の足だけではなく、手も頭も洗ってください」と言います。イエス様は「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなた方はきよいのですが、皆がそうではありません」と言われました。



2 弟子の足を洗うイエス様の愛


ペテロはイエス様の1番弟子です。ペテロは誰よりもイエス様を愛していました。しかしペテロの愛はどこまでも人としての愛でした。これに対してイエス様の愛は神の愛です。私たちを罪と死と悪魔の支配から救うため身代わりとなってくださった愛。イザヤ書53章11節、その人です。「水浴した者」とは、イエス様がご自分のものと言われた弟子たちのこと。また主イエス様を信じている私たちのこと。「足を洗う」とは、旅人が常に足を洗う必要があるように私たちの日々犯す罪をイエス様が聖めて下さることです。



3 イエス様を模範にして「足を洗い合う」こと


イエス様は弟子たちに、「主であり師であるわたしが、あなた方の足を洗ったのですから、あなた方もまた互いに足を洗い合うべきです。」と話され、ご自分のなさったことを「模範」にするように言われました。足を洗い合うとは、信徒が互いに愛し合うこと。すなわち互いに仕え合うことや互いに赦し合うことです。

仕え合うことについては、1ペテロ4: 10に「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕えあいなさい。」とあるとおりです。

「しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。あなた方がこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなた方は祝福されるのです。」とは、主人から命じられたことをするのがしもべなので、「互いに足を洗う」ことをしないのならイエス様を無視することということです。反対にイエス様が命じられたことだからと行うなら祝福の約束があります。



4 互いに赦し合うこと


皆さんは、心の中で兄弟姉妹をさばいたこと、さばかれていると感じたことはありませんか。兄弟姉妹を愛せなくなる本当の原因は悪魔のそそのかしです。悪魔は、教会の中に敵意の混乱をもたらします。本来、愛し合うべき人との関係を敵対関係に変え、憎しみの世界に変えようとします。兄弟姉妹に敵意を持つようにするのです。

例えば自己防衛のために誰かを悪者にして逃れようとすることや、自己中心の心がばれるのを恐れ本当の自分を隠して本音を出さないようにすること、心の恨みや憎しみがばれないように孤独を選んで交わりを避けること。これらはみな悪魔のそそのかしです。本来愛し合うべき人同士を敵対関係に入れ、この世界を憎しみの世界に変える、それが悪魔の戦略です。隣人を憎むことで得をするのは悪魔だけです。しかしイエス様はこの世の敵意による混乱を解決するために生まれ、私たちを救って下さいました。

私たちは「イエス・キリストに従うように選ばれた人々」(Tペテロ1:2)です。罪を犯している人は悔い改めましょう。自分で自分を責めることや人をさばくことをやめましょう。小さな信仰でも方向が間違っていなければ、その人を受け止め、心のベクトルを主イエス様に向けて一緒に進んでいきましょう。教会とはイエス様につながる信徒全員のものです。


翌日ペテロは、その目でイエス様の十字架を見、3日後復活のイエスにお会いします。そして、ペテロは、自己中心でなく、人間の愛でもなく、神の愛に生きるものになりました。老年になったときペテロは手紙に次のように書きました。「あなた方は、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。」(Tペテロ1: 22)



<ヨハネの福音書 13章1〜20節>


1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。

2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、

3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、

4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。

6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」

7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」

8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」

9 シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」

10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」

11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない」と言われたのである。

12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。

14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。

17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。

18 わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた』と書いてあることは成就するのです。

19 わたしは、そのことが起こる前に、今あなたがたに話しておきます。そのことが起こったときに、わたしがその人であることをあなたがたが信じるためです。

20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」




説教者:加藤 正伸 長老