2023年4月2日



「十字架〜私たちに注がれた神の愛」

新約聖書:ヨハネの福音書19章1節〜18節、同30節



私たちクリスチャンはイエス様を信じたとき、魂が救われた喜びに舞い上がる経験をしました。生きててよかったという経験をしました。今日はそのことを確認したいと思います。キーワードは十字架です。



1 イエス様が十字架につけられるまで


最初に、イエス様が、最後の晩餐から十字架につけられるまでの経緯を、一緒にたどりたいと思います。

ユダヤの指導者たちは、イエス様が、自分達が決めたように安息日を守らないことに腹を立て、また群衆に人気があることをねたみ、イエス様を殺そうと考えます。しかし祭りの間は良くないと考えました。群衆の中にはイエス様を自分たちの救い主と考えていた人もいたので、恐れたからです。しかしちょうどいい機会が回ってきました。それは弟子のユダの裏切りです。ユダヤの指導者たちにとってはうってつけの機会でした。

その週の木曜日の夜、イエス様は2階の広間で、弟子たちと共に過越の食事をされます。途中でイスカリオテのユダがその部屋を出て、祭司長たちのところに知らせに行きます。食事が終わったイエス様は、夜中0時頃、弟子たちとともにゲッセマネに向かいます。部屋からは約1.3キロのところです。

曜日が変わり金曜日午前2時ごろ、イスカリオテのユダは千人隊長とローマの兵士たち、ユダヤ当局の役人たちを連れてゲッセマネに来ます。ユダはイエス様が行くところを知っていました。イエス様は、そこで彼らによって逮捕され、手を縛られ、またもと来た道を戻るようにして、まずアンナスの家に連れて行かれます。アンナスはその年の大祭司カヤパのしゅうとです。次いですぐ近くに住む大祭司カヤパのところに連れて行かれます。

大祭司カヤパのところで尋問を受けた後、議会が開かれ、裁判にかけられて死罪が決まります。そして約400メートル離れた所にいるローマのユダヤ属州総督ピラトのところに送られます。

総督ピラトは、一旦、イエス様をヘロデ・アンティパスのもとに送ります。ヘロデは、当時ガリラヤとペレアの領主で、バプテスマのヨハネを処刑した人でもあります。イエス様は再びピラトのところに戻されますが、このとき、ピラトの兵士たちによって、茨の冠をかぶせられ、紫色の着物を着せられ、顔を平手で打たれ、嘲笑されました。(ヨハネ19:2、3)

ピラトは、イエス様を取り調べますが、何の罪も認められないので恩赦を与えようとします。しかし群衆はそれを拒否します。また祭司長や役人たちが「十字架につけろ」と叫び続け、「この人を釈放するのなら、あなたはカエサルの友人ではない」と言ったことに、ピラトは恐れを覚えます。ユダヤ人たちに嫌われ暴動を起こされることが恐ろしかったからです。そして午前9時ごろ、ピラトはイエス様に十字架刑の判決を言い渡します。

イエス様はご自分の十字架を背負い、ゴルゴタまで約360メートル歩いて行きました。昼ごろ、イエス様は十字架につけられます。すぐ近くには、母マリアやマグダラのマリアたちがいました。イエス様は、母マリアのことを気遣い、そばにいた愛する弟子に母のことを託します。午後3時ごろ、「父よ、わが霊を御手にゆだねます。」と言われて息を引き取りました。(ルカ23:46) イエス様の体は降ろされ、午後6時頃に近くの墓に葬られます。



2 さばかれるイエス様


実は、イエス様がお生まれになる約700年前に、預言者イザヤがこのイエス様のことを預言していました。イザヤ書53章を見てみましょう。

3節。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」 7節。「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。」8節。「しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。」

救い主イエス様は、誰もが想像もしないお姿でこの世に来られました。神である方なのに人の姿を取り、貧しい身分の子として生まれました。そしてねたまれ、嫌われ、裏切られて、十字架につけられます。本当に気の毒です。しかし、同じイザヤ書53章の他の箇所からは、イエス様があえてそのような仕打ちを受けられたことがわかります。



3 十字架の本当の意味


イエス様の十字架はどんな意味があったのでしょうか。

4節。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」

5節。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」

6節。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

8節「しいたげとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」

イエス様はご自分から、しいたげとさばきを受けられたのです。

そして10節。「もし彼が、自分のいのちを罪禍のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。」そうです。イエス様は、神さまの御心を「成し遂げ」られたのです。

ヨハネの福音書19章30節には「完了した」というイエス様のことばが書かれています。何が完了したのか。イエス様が、すべての人のために死なれ、救いの道備えを済ませたということです。それで十字架は全ての人にとって決定的な意味を持っているのです。

十字架は誰のためだったのか。全ての人のためです。天地万物を創造した神様が、被造物である人のためにいのちを捨てるということは普通では考えられない。しかし神様はそれをされたのです。一粒の砂の様な私のためにもいのちを捨てて下さったのです。それで神の愛が自分にも注がれていることを感じるのです。



4 十字架こそ私たちの力


私たちは日々不安や心配を抱えています。コロナに感染する不安、自分の健康についての不安。家族のことで不安を抱えている方や、人生の先行きに不安を感じている方もいらっしゃるでしょう。教会の事では、牧師の不在に不安を感じたり、会堂建築や会堂移転のことで不安だったり。一人一人、様々な問題を抱えています。教会も様々の課題を抱えています。これが現実です。  

しかし、皆さん、新聖歌101番には「十字架の外は われ誇らじ」とあります。私たちの見上げるところは十字架です。

私たちの目を十字架から逸らそうとするのは、サタンの働きです。サタンは、私たちの目を十字架から遠ざけようとします。クリスチャンの交わりを妨げようとします。、本当の礼拝から、教会の本質から目を背けようとします。以前はこうだった、こうしてきた、これが無いと駄目だというように。

またときには、「この世の権威の前にはあなたは無力だ、イエスを信じる信仰は何の役にもたたない」と脅してくることもあるでしょう。ピラトがイエス様に「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威がある」(ヨハネ19:10)と言ったように。しかしイエス様の十字架こそ、この聖歌にあるように私たちの力です。

そしてイエス様は、イエス様は、信じる私たちの信仰を喜んで下さっています。ヨハネ18章 9節では、私たちを「神様がわたしにくださった者」と言われています。ヨハネ13章 1節で「世にいるご自分のもの」と言われる。どんなに小さくても、私たちの信仰を喜んでおられます。私たちはイエス様に愛されているのです。



5 十字架を仰いで


最初に、イエス様を信じたときに、私たちは舞い上がったという話しをしました。理由はもうお分かりだと思います。私たちはかつては神でない神々の奴隷でした。イエス様は、その私たちを十字架の血潮によって解放して下さったのです。私たちの足かせを砕いて下さったのです。それで私たちは舞い上がる経験をしたのです。今あなたに足枷となっているものはありませんか?心が何かに囚われてはいませんか?再び、十字架以外のものにとらわれて、信仰の道から迷い出ないようにしましょう。

uuy1ペテロ2章24節を見てください。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

私たちは、イエス様がご自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われたことを忘れないようにしましょう。十字架は私たちに注がれた神の愛です。神様は必ず信じる私たちを祝福してくださいます。





ヨハネの福音書 19章1〜18節、30節

1 そこで、ピラトはイエスを捕らえて、むち打ちにした。

2 また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。

3 彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言い、またイエスの顔を平手で打った。

4 ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」

5 それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です」と言った。

6 祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ」と言った。ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

7 ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」

8 ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。

9 そして、また官邸に入って、イエスに言った。「あなたはどこの人ですか。」しかし、イエスは彼に何の答えもされなかった。

10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」

11 イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」

12 こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」

13 そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語ではガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。

14 その日は過越の備え日で、時は第六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」

15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

16 そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。

17 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。

18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった。


30 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。





説教者:加藤 正伸 長老