2022年9月11日
「旧約時代の海外宣教」
旧約聖書:ヨナ書3章1〜10節
T.導入
1.預言者ヨナ
ヨナは1章1節に「アミタイの子ヨナ」とあります。第二列王記14章25節に名前が出てきて、活躍した場所と時代が分かります。小預言書には預言した人や預言がされた時期の詳細が分からない預言書もありますが、ヨナ書は、預言者の詳細はそこまでよく分かっている訳ではありませんが、預言の時期は明らかです。
2.ヨナの活躍した時代
ヨナは北イスラエル王国の預言者です。ヨナが活躍したのはヤロブアム王の時代です。同じ名前の王さまが前にもいて、このヤロブアムは2世です。ヨナが活躍した時代は紀元前8世紀になります。
北イスラエル王国の王さまたちは、ダビデの家系ではなく、何回かクーデターが起きて、家系も繋がっていません。そして、ほぼ全員が悪い王さまで国民に偶像礼拝をさせています。
ヨナが活躍した時代はヤロブアム王がイスラエルの国土を回復したりして北イスラエル王国としては勢いのある時代でした。
U.ヨナへの宣教命令
そんな時に、神さまからヨナへの宣教命令が出ます。1章2節。「立って、あの大きな町ニネベへ行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからだ。」その神さまの言葉を聞いて、ヨナは「ハイ、分かりました」と従ったのでは無く、宣教命令を拒否してタルシシュへ逃れようとしました。
ニネベというのは、当時力のある大きな国であったアッシリヤの都市です。ヨナの時代には首都であったかもしれません。
ニネベの人々はアッシリア人で当然イスラエル人ではありませんでした。当時は、新約聖書に時代よりもさらに、ユダヤ人の選民意識は強かったと思いますので、まず、イスラエル人では無いニネベの人々の救い、そのものが受け入れられなかった、ということがあります。
しかし、それだけでは無く、ヨナは他の預言者たちの預言を知っていたので、自分の国を滅ぼすことになるアッシリヤの都市ニネベを救いたくなかったのだと思われます。今、神さまがニネベを滅ぼすつもりなら、そうして欲しいと思ったのではないでしょうか。そうすれば、アッシリヤが北イスラエル王国を滅ぼすことは無いのでは、という思いがあったのでは無いかと思われます。
ヨナは、救いはユダヤ人だけのものという偏狭な選民意識だけで宣教命令を拒否したのでは無く、自分たちの国である北イスラエル王国を滅ぼすことになるであろう国の都市であるニネベの人々を助けたくないという愛国心もあって、神さまからの宣教命令を拒否してしまいました。
そのため、ヨナはヨッパという港町からタルシシュへ行く船に乗り込みました。
ヨッパはイスラエルの港町で、タルシシュは2箇所候補地がありますが、スペインという説が有力なようです。
さて、ヨナがヨッパから船に乗り込むと、すぐに激しい暴風雨が起こって、船は難破しそうになりました。この時、船に乗っていた人々でくじを引いて、誰のせいでこのようなことになっているのかを知ろうとしたところ、くじがヨナに当たりました。そこで、ヨナは自分を海に投げ込むように人々に言い、船に乗っていた人々がそのようにすると、海は静かになりました。
この時、船に乗っていた人々はヨナを海に投げ込んだら、ヨナは死んでしまうだろうと思っていました。なので、できればヨナを海に投げ込む以外の方法も模索しましたが、どれもうまくいかず、苦渋の決断としてヨナを海に投げ込みました。ヨナ自身も、この嵐が自分のせいだと分かっていたので、死ぬかもしれないと言うことについては覚悟ができていたと思います。
しかし、神さまはヨナを死なせるつもりではありませんでした。大きな魚を用意して、ヨナを飲み込ませました。ヨナは、3日3晩、魚の腹の中にいましたが、その間に神さまに祈り、3日目に陸地に吐き出されています。
この、ヨナが三日三晩魚の腹の中にいたことは、イエス様が十字架後に復活するまでの三日三晩の「型」になっています。これは、福音書の中でイエス様が直接語られています。
マタイ12章40節
「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」
その後、神さまは再度ヨナにニネベへの宣教命令を与え、今度はヨナもそれに従いました。このヨナの宣教によってニネベの人々は回心し、神さまはニネベへのわざわいを思い直されました。そして、これが、また、ヨナを不愉快にさせました。
そして、ヨナが怒って祈って言った言葉が4章2節です。
「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。」
そして、さらには死んだ方がマシだとまで言います。
神さまのあわれみ深いところは、こんな言い草のヨナの機嫌を直そうとされるところです。
ヨナは、仮小屋を建ててニネベの町がどうなるのかを見ていたのですが、その時、神さまは仮小屋の近くにトウゴマを生やしてヨナの上に木陰を作りました。そして、それを虫に噛ませて一晩で枯れさせました。この、トウゴマを惜しんでまたまた死んだ方がましだと言い、「当然のように怒るのか?」という神さまの問に「当たり前です!」と抗議するヨナに対して、ニネベには12万人以上の人がいるのに、どうしてこの民を惜しまずにおられようか、と神さまはトウゴマを使ってヨナを説得しています。
ヨナはこのトウゴマについて、全く育てるようなことをしていないのに、枯れたら惜しんで死んだ方がましだとまで言ったことに対して、神さまは、では、神さまがニネベの12万人以上の人々を惜しむのは当然のことだと思わないのか?、とヨナを教え諭しています。
神さまは非常に丁寧にヨナのことを取り扱って下さっています。
神さまが、「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直される」方であるのは、何もニネベに対してだけではなく、ヨナに対してもそうでした。
V.まとめ
この、ヨナ書を読んで私たちが知ることができるのは、私たちは神さまからの召命を拒否したとしても無駄である、と言うことです。神さまが動かされるなら、私たちは拒否することはできないのだと思います。
また、ヨナがしたことは海外宣教だと言うことを知っていただきたいと思います。イスラエルは確かに約束の民で、旧約聖書を読んでいると、あたかもイスラエル民族しか救われないような印象を受けますし、実際イスラエル人には選民意識があったと思いますが、ヨナ書を読むと、神さまは初めから異邦人も救う意図があったことが分かります。神さまは、悔い改める者は誰でも救ってくださいますし、例え約束の民であっても悔い改めが無いなら裁きが待っています。この時、ニネベの人々は悔い改めたので救われていますが、北イスラエル王国の人々は、結局悔い改めること無く、南ユダ王国よりも一足早くアッシリヤによって滅ぼされることになります。
そして、神さまが、「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直される」方であるのは、私たちに対しても同じです。私たちはクリスチャンになったからと言って罪を犯さなくなるわけではありません。何度も何度も罪を犯してしまう者ですが、神さまはあわれみ深く、怒るのにおそく、私たちの悔い改めを待っていてくださるのです。
これは、本当に恵みとしか言いようがありません。神さまは、私たちが何か良いことをしたからわざわいを思い直してくださるのでは無く、悔い改めるだけで救われる、赦されるというのは、神さまからの一方的な恵みです。私たちはすでに救われて、赦されていることを神さまに感謝していきたいと思います。
<ヨナ書 3章1〜10節>
1 再びヨナに次のような主のことばがあった。
2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」
3 ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。
4 ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。
5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
7 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
8 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。
9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。
説教者:菊池 由美子 姉