2022年7月24日



「イサクの嫁を迎えに行ったしもべ(後半)」


創世記24章32節〜67節



1、初めに

前回(6月19日)までのおさらいを簡単にしましょう。アブラハムは愛する妻サラに先立たれ、アブラハムが所有する最初の土地(マクペラのほら穴)に妻を葬りました。そして、人生最後の大仕事ともいうべきアブラハムの信仰を継承するイサクのためのお嫁さん探しを忠実なしもべ(エリエゼル)に託したのです。

神とアブラハムとの契約を確かなものとするためには息子のイサクに信仰を共にするしっかりとした伴侶が必要でした。その伴侶をはるか離れたアブラハムの故郷ハランで見つけ出すという非常に困難なミッションがしもべに与えられた使命でした。すべて神様の計らいにより素晴らしい女性リベカが現れるのですが、そのことの次第は今日の聖書箇所でしもべがつぶさに繰り返して報告してくれますので、しもべの報告に委ねましょう。



2、ラバンとしもべ(32、33節)

ラバンはアブラハムの兄弟ナホルの孫でベトエルの息子、リベカの兄です(創世記24章15節、28章1、2節)。ラバンは前回の最後のところでリベカからラクダを10頭引き連れて来た旅の人(しもべ)に井戸から水を汲んであげたことやアクセサリーを貰ったことなどを聞いており、お金持ちのその一行をもてなそうとしました。

ラクダの荷を解き餌を与え、従者たちの足を洗い、食事まで用意されました。

アブラハムのしもべは言います。「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」

初めて会ったのですから、食事をしてお互いの気心が知れてから本題に入るというやり方もあるのでしょうが、このしもべは「Mr.忠実」とあだ名を付けても良いほど主人のアブラハムに忠実です。とにかく早く神様が導いて出会わせてくださったリベカがイサクのお嫁さんになる女性かどうか確認したいのです。

このしもべはこの後、34節から49節まで主人アブラハムやその息子のイサクについて、また、イサクのための花嫁を捜しにアブラハムの故郷のハランまで来たこと。そして神に祈り、祈りの通りにリベカに会ったことなどを極めて忠実に事細かにラバンに話しました。それこそ身振り手振りで一生懸命に話している様子が目に浮かびます。



3、しもべの話し(34〜49節)

前にも確認したようにこのしもべは15章2節でアブラハムが「私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」と言ったしもべです。

もし、アブラハムにイサクが生まれなければこのエリエゼルがアブラハムの相続人になっていたかもしれません。このしもべにはそんな卑しい損得勘定は全くなく、ひたすら一生懸命に主人アブラハムに仕えるしもべです。それは、アブラハムが主なる神に祝福され、神の友とも言われるような信仰者の姿を間近に見て来たからのことでしょう。

アブラハムを尊敬するとともにアブラハムのしもべであることに自分自身誇りを持っていたのではないかと思います。

パウロはローマ人への手紙1章1節で「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、」と書いていますが、ギリシャ語本文を読むと、「パウロ、奴隷、キリスト・イエスの・・・」と言う順番で、ギリシャ語の単語が並んでいます。何よりもまず、奴隷であることを誇らしく宣言しています。奴隷やしもべはその主人が偉大な方、素晴らしい方であるならばその方に仕えるとき誇らしく思えるのです。

ましてやキリスト・イエスに仕える奴隷、しもべはこれ以上ないほど誇らしい身分であると言えるでしょう。私たちもこのしもべのように主人イエス・キリストのしもべとして力強く熱を込めて証ししたいものです。



4、ラバンとベトエルの反応(50〜51節)

50節でラバンとベトエルが答えました。「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」

会ったばかりの人からの「あなたの娘、妹をお嫁さんに下さい」というような重要な申し出に対して、これほど簡単に即答できるとは驚きです。余程、このしもべの証しが真剣でベトエルとラバン父子の心を動かしたものと見えます。また、この二人にも神の働きがあって受け入れるように心が整えられたのだと思います。「このことは主から出たこと」ということが事実として二人に理解できたのでしょう。

しかし、人間的な別れの辛さ、寂しさはこの後に訪れます。



5、神に礼拝するしもべ(52〜57節)

ラバンとベトエルからリベカをイサクのお嫁さんにすることを了承され、しもべは何よりも先に神に感謝の礼拝を捧げました。リベカの家族たちはこのしもべの信仰を驚異をもって見たに違いありません。本当の信仰の姿は人の心を動かすものです。

そして、しもべは金銀の装飾品などを花嫁料(結納金)として贈りました。これで婚約が成立します。その後の食事は盛大な喜びの宴会となったことでしょう。

しもべは、翌朝「彼らが起きると、そのしもべは『私の主人のところへ帰してください』と言った。」と54節に記されています。一日でも早く主人アブラハムにこの喜びを伝えたかったのでしょう。素晴らしい出来事をすぐに家族や主人に伝えたいというのは理解できます。しかし、ラバンたち家族にとっては可愛い娘との突然の別れは辛いものだったはずです。



6、旅立ちを引き留めるリベカの家族としもべ(55〜56節)

ラバンたち家族は、結婚が決まったとはいえ出会って一日も経たないうちに娘が旅立つとは思っていなかったでしょう。準備も整わないうちに旅に出すわけにはいかないというのももっともなことだと思います。しもべからもっといろいろな話も聞きたかったかもしれません。10日ほど旅立ちを待ってほしいとしもべに頼みます。人情としてはよく理解できます。この時代は今以上に女性の立場が弱く、結婚相手の男性に頼って生きていかなければならない社会ですので、見知らぬところの会ったこともない一人の男性に自分を託すことの不安は想像以上でしょう。

そのようなことは十分知っていたしもべですが、ラバンたちの願いは聞かず、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください」(56節)と言います。しもべは、主なる神が最初からこの時まで導いてくださってここまで来たことをよく知っています。

7、8節でアブラハムが言っています。「私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える』と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。」

このミッションには天の御使いがしもべと共につき従って進められているのです。人間的な思いでことを延ばしたりできないとしもべは考えたのでしょう。



7、リベカの決断(57〜60節)

ラバンたちはリベカにどうするか聞いてみましょうと提案しました。おそらくリベカも10日ぐらい家族と一緒に過ごしてから旅立ちたいと言うはずだと思っていたのではないでしょうか。10数年間育ててくれた両親や兄弟と別れるのです。十分に別れの時を取りたいと思うのが人情です。

58節で、ラバンがリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか」と尋ねると、彼女は、「はい。まいります」と答えました。なんともあっさりとリベカはすぐに旅立つことを受け入れているのです。前回のしもべとラクダに水を飲ませる場面でもリベカの行動力、判断の速さ、賢さは飛びぬけていることを見ましたが、何よりもこのことが神から出ていることをしもべ同様理解していたのでしょう。

家族はリベカの決心が堅いことを見て、リベカを祝福しました。

60節の家族からリベカへの祝福の言葉は、アブラハムがイサクを神に捧げた後に神がアブラハムに語り掛けた言葉とほとんど同じ文言です。22章17節の言葉を振り返りましょう。

「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記22章17節)

リベカや家族がアブラハムと神との契約を完全に理解して、リベカがその契約の担い手になることを共に喜んでいることが分かります。



8、リベカとイサクの出会い(61〜67節)

リベカは両親や家族に別れを告げ、侍女たちを引き連れてカナンの地、ベエル・シェバまで700kmほどの旅をします。決して乗り心地がいいとは言えないラクダでの2週間ほどの旅は若い女性にとっては大変な旅だったことは想像に難くありません。ここには記されていませんが、ここに出てくる侍女の一人は、リベカの乳母でデボラと言います。35章8節には、「リベカのうばデボラは死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それでその木の名はアロン・バクテと呼ばれた。」と記されています。このデボラがリベカに従ってカナンの地に行き、この後にイサクやヤコブにも仕えることになるのです。

さて、ベエル・ラハイ・ロイ(16章14節参照)から帰ってきていたイサクは夕暮れ近く散歩に出ていたとあります。ただの散歩というより、瞑想、黙想するために野に出たのでしょう。ルターは祈るためにと訳しています。

先ずイサクが目をあげるとラクダの姿が見えました。心に何かが閃いたかもしれません。リベカも人がこちらに歩いてくるのが見えました。もうお互いの顔がなんとか分かるくらいの距離のようです。しもべが「あの方が私の主人です」と言いました。これがイサクとリベカの初めての出会いでした。リベカがベールで顔を覆ったのは、結婚までは未来の夫の前では顔を覆うというのが当時の婚約期間中の習慣だったようです。

この章の最後にやっとイサクが登場しました。66節でしもべはイサクに事の次第を残らずすべて報告しました。アブラハムにも当然報告したと思われますが、ここではイサクにスポットライトが当てられています。イサクの母サラは亡くなって既に3年が経ちますが天幕は残されており、その天幕がサラの住まいとなりました。

イサクは「母のなきあと、慰めを得た。」とありますが、イサクはお母さんっ子でした。サラも自分が90歳になってやっと生まれたイサクにすべての愛情を注いで育てたのではないかと思います。イサクはやさしい性格、従順な性格を持っていました。リベカの決断力、機転の速さ、健康的な性格とはかなり違っていますが、結婚というものは性格が違ってこそお互いに補い合える部分も多いのでしょう。しかし、イサクとリベカはこの先、この性格の違いから多くの行き違い、試練に会うことになります。



9、まとめと適用

忠実なしもべの態度から

・何よりも神のことを第一とする

しもべは食事が出された時「私の用向きを話すまで食事をいただきません。」といい、即座に単刀直入にそれまでの出来事をすべてありのまま語り、リベカをカナンに連れて帰りたいと申し出ました。神が導いておられることに全幅の信頼を置き、神のことを第一とする姿勢を学びたいと思います。

・主人アブラハムに対する尊敬と誇り

しもべは主人アブラハムのために全身全霊でこの任務を遂行しようとしています。完全な任務の遂行のためには一歩も下がることなく、留まることもありませんでした。この姿は、使徒パウロがイエス様を伝道するときに「キリスト・イエスのしもべ」と自己紹介する姿を思い起こさせます。そこには主人に対する尊敬とそのしもべであることの誇りを見て取ることができます。私たちもキリストのしもべとして主イエスを誇りとして歩もうではありませんか。

リベカの態度から

リベカは気転の利く、やさしい女性です。決断力も備わっていました。しもべと出会って一日もたたないうちに、カナンの地へと旅立つことになりましたが、そのことが神から出ていることだと知って、即座に決断することができました。

私たちも目の前の出来事が神から出ていると知る時に最善の決断ができるように祈りたいと思います。

導いておられた神

しもべの任務は常識的には非常に困難なものでしたが、常に神様が先回りをして、しもべがリベカと出会うようにしてくださいました。ラバンや家族の心も主を信じるものとしてくださいました。神様の恵みは私たちの前に既に注がれているというのがアブラハムの信仰ではないでしょうか。イサクをモリヤの山で捧げた時もそうでした。いけにえの雄羊が用意されていました。22章14節のアドナイ・イルエ(主の山の上には備えがある)の神が信じる者、従う者に先回りして恵みを用意してくださっていることを信じましょう。


私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Tヨハネ4:10)




<創世記24章32節〜67節>

32 それでその人は家の中に入った。らくだの荷は解かれ、らくだにはわらと飼料が与えられ、彼の足と、その従者たちの足を洗う水も与えられた。

33 それから、彼の前に食事が出されたが、彼は言った。「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」「お話しください」と言われて、

34 彼は言った。「私はアブラハムのしもべです。

35 主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。

36 私の主人の妻サラは、年をとってから、ひとりの男の子を主人に産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます。

37 私の主人は私に誓わせて、こう申しました。『私が住んでいるこの土地のカナン人の娘を私の息子の妻にめとってはならない。

38 あなたは私の父の家、私の親族のところへ行って、私の息子のために妻を迎えなくてはならない。』

39 そこで私は主人に申しました。『もしかすると、その女の人は私について来ないかもしれません。』

40 すると主人は答えました。『私は主の前を歩んできた。その主が御使いをあなたといっしょに遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家族から、私の息子のために妻を迎えなければならない。

41 次のようなときは、あなたは私の誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行き、もしも彼らがあなたに娘を与えない場合、そのとき、あなたは私の誓いから解かれる。』

42 きょう、私は泉のところに来て申しました。『私の主人アブラハムの神、主よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら、

43 ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。おとめが水を汲みに出て来たなら、私は、あなたの水がめから少し水を飲ませてください、と言います。

44 その人が私に、「どうぞお飲みください。私はあなたのらくだにも水を汲んであげましょう」と言ったなら、その人こそ、主が私の主人の息子のために定められた妻でありますように。』

45 私が心の中で話し終わらないうちに、どうです、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来て、泉のところに降りて行き、水を汲みました。それで私が『どうか水を飲ませてください』と言うと、

46 急いで水がめを降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。

47 私が尋ねて、『あなたはどなたの娘さんですか』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です』と答えられました。そこで私は彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。

48 そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。

49 それで今、あなたがたが私の主人に、恵みとまこととを施してくださるのなら、私にそう言ってください。そうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになるでしょう。」

50 するとラバンとベトエルは答えて言った。「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。

51 ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」

52 アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。

53 そうして、このしもべは、銀や金の品物や衣装を取り出してリベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。

54 それから、このしもべと、その従者たちとは飲み食いして、そこに泊まった。朝になって、彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰してください」と言った。

55 すると彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが」と言った。

56 しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください」と言った。

57 彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」

58 それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります」と答えた。

59 そこで彼らは、妹リベカとそのうばを、アブラハムのしもべとその従者たちといっしょに送り出した。

60 彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」

61 リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人のあとについて行った。こうして、しもべはリベカを連れて出かけた。

62 そのとき、イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのである。

63 イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼がふと目を上げ、見ると、らくだが近づいて来た。

64 リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、

65 そして、しもべに尋ねた。「野を歩いてこちらのほうに、私たちを迎えに来るあの人はだれですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこでリベカはベールを取って身をおおった。

66 しもべは自分がしてきたことを残らずイサクに告げた。

67 イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た。




説教者:新宮 昇 長老