2022年5月15日



「主がエマオへの道で話されたこと」

新約聖書:ルカの福音書24章13節〜35節



1 全体のストーリー


イエス様は十字架につけられて亡くなられます。祭司長や指導者たちが、ねたみから、何の罪もない方を死刑に定めて十字架につけたのです。

さてそれから3日後の早朝、イエス様に付き従っていた女性たち、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリアたちはイエス様が葬られた墓に行きました。するとイエス様の体がありません。また女性たちは、御使いたちからイエス様が甦られたことを告げられます。それで女性たちは戻ってきて、そのことを弟子たちに伝えます。しかし弟子たちにはそれはたわごとと思われました。またこの時ペテロとヨハネは墓に行き、イエス様の体がないことを確認しますが、甦られたこと信じるまでには至りません。


その日の午後、弟子の二人がエマオという村に向けて出発します。エルサレムからエマオまでは7マイル、約11キロメートル。これは日吉駅から三沢公園まで、綱島街道を歩くときの距離と大体同じです。今日は、このときのことを、皆さんと一緒に体験したいと思います。

弟子たちが、歩きながら十字架のことや、仲間の女性から聞いたことを話し合っていると、知らない人が近づいてきました。その方が弟子たちに話しかけます。「歩きながら、2人で話し合っているその話は、何のことですか」クレオパという人が応えます。「エルサレムにいながら、近頃そこで起こったことをあなただけが知らなかったのですか。」 その人は尋ねます。「どんなことですか?」

それで弟子たちは「ナザレ人イエスのこと」を話し始めます。「神とすべての民の前で、行いにも言葉にも力のある預言者だった」方だったこと、自分たちは、この方こそイスラエルをローマ帝国の支配から解放して下さる方、自由にしてくださる方だと望みをかけていたこと、ユダヤの祭司長や指導者たちが、ローマ総督ピラトに引き渡して、死刑に定め、十字架につけたことを話しました。また弟子たちは、仲間の女性たちから聞いたこと、すなわち墓が空であったことや、そこで御使いたちからイエスが甦られたと告げられたことなども話したのでした。

弟子たちのいう「預言者」とは、神様との契約からそれて堕落してしまった民を神のもとへ立ち返らせる、そのために神によって召された人です。(預言者と言う階級を作ったのはサムエルです。サムエルの後、エリヤ、エリシャ、ミカ、ヨナ、アモス、ホセア、イザヤ、ミカらが活躍しました。)


ところが弟子たちの話が終わると、その方が弟子たちにこう言います。「ああ愚かな人たち、預言者たちの言った全てを信じない心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」(ルカ24:25・26)それから聖書に書かれた救い主について、聖書のことばから説明をされました。

「愚かな人」とは「悟りが鈍く、理解力が遅い」ということです。それは弟子たちだけではありません。当時のユダヤの指導者たち、祭司長、律法学者、パリサイ人、みなそうです。聖書に預言されていることを信じないすべての人のことです。しかしそのことばは弟子たちの心に響いたようです。

弟子たちは、その方のことばに熱心に耳を傾けます。弟子たちは話しを聞くうちに自分たちの心がうちに燃えるように感じました。そこで彼らは、目的の村に近づいたとき、その人がまだ先に行きそうな様子だったので、自分たちと一緒に泊まるよう強くお願いしました。


さて、夕食の時間になり、弟子たちはその方と一緒に食卓につきます。その方がパンを取り祝福し、裂いて弟子たちに渡しました。その時、弟子たちははっと気が付いたのです。今パンを渡してくれる人がイエス様であることを。目が開かれたのです。このときの弟子たちの驚きはどれほどだったでしょう。すると目の前にいた方は見えなくなりました。

弟子たちはすぐにその宿を出て、エルサレムに戻ります。11キロの暗い道を引き返しました。そして、いつも弟子たちが集まる部屋に入りました。するとそこには、既に使徒たちや仲間が集まっていて、ペテロに姿を現されたという話しで持ちきりでした。そこで2人の弟子も自分たちがエマオに行く途中に出会った方がイエス様だったことを話しました。



2 イエス様はご自分から私たちに近づき話しかけられる


今日は、この箇所から、イエス様について2つのことを学びたいと思います。1 つ目は、イエス様はご自分から私たちに近づき、話しかけられるということです。

このときの弟子たちは、失望落胆し、戸惑いの中にありました。なぜなら「この方こそイスラエルを贖(あがな)ってくださるはずだ」と望みをかけていた方が十字架につけられて死んでしまったからです。また弟子たちは、仲間の女性たちから、イエス様の墓が空だったこと、天使がイエス様の甦(よみがえ)りを告げられたことを聞きましたが、それは彼らにとってたわごと、すなわち気違いじみたこと、馬鹿げたことにしか思えませんでした。

しかし、失望してとまどっているこの弟子たちに、イエス様は話しかけられました。このとき弟子たちは自分たちのことを率直に話しました。するとイエス様は、弟子たちに聖書全体の中でご自分について書いてある事柄を解き明かされました。ここに私たちが心に留めておきたいことがあります。 それは、イエス様はご自分から私たちに近づき、話しかけられるということです。


昨日教団の聖書神学校の公開講座で、講師の先生が、キリスト教と他の宗教のちがいを、サル型とネコ型に分けて説明して下さいました。サル型とは、子ザルが母親のサルにしがみついて移動することです。ネコ型は、母ネコが子ネコを口でくわえて移動することをいいます。信徒が努力して神様に近づくのが他の宗教、神様の方から私たちに近づいてくださるのがキリスト教だというのです。

イエス様は、ご自分から私たちに近づき、私たちに、どうしたのですか、なぜ悲しんでいるのですか、何を思い悩んでいるのですかと問いかけられるのです。      



3 イエス様は聖書を通してご自分のことを悟らせてくださる。


聖書がイエス様の十字架と復活について記している箇所を、幾つか見てみましょう。受難についてはイザヤ書53章4?9節とゼカリヤ書12章10節を、また復活についてはイザヤ書53章10?12節とホセア書6章2節を見たいと思います。

イエス様は、聖書を通して、必ずご自分のことを私たちに悟らせてくださる方です。そしてイエス様のことが分かるようになってくると、もっと聖書を学びたいと思うのです。ヨハネの福音書5章39節にはこのように書かれています。「あなた方は、聖書の中に永遠の命があると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」



4 イエス・キリストの名によって罪の許しを得させる悔い改めの宣教


ルカ24章48節のことばです。「キリストは苦しみを受け、3日目に死人の中から甦り、その名によって、罪の許しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなた方は、これらのことの証人です。」

イエス様の十字架と復活の話しは、多くの人には「たわごと」に思われるのかもしれません。クリスチャンを偽善者だと思う人もいるでしょう。けれども、信じている私たちにとって、イエス様は本当の平安を与えて下さる方です。罪の結果から来るすべての苦悩から私たちを自由にして下さる方です。教会は、このイエス・キリストの名によって罪の許しを得させる悔い改めを全世界に述べ伝えるところなのです。

復活されたイエス様に出会った弟子たちについて、聖書はこのように記しています。「彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、いつも宮にいて神を褒めたたえていた。」(52節)

 

「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の許しを得ています。」コロサイ人への手紙1章13、14節



説教:加藤 正伸 長老




新約聖書<ルカの福音書 24章13〜35節>


13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。

14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。

15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。

16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。

17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。

18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」

19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。

20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。

21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、

22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、

23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。

24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」

25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。

26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」

27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。

29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。

30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。

31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。

32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、

34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。

35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。