2026年8月23日
「種まく人」(要約)
聖書箇所:マルコの福音書4章1節〜20節
1、湖畔の説教
イエス様が片手の萎えた人を癒されたとき、パリサイ人たちはヘロデ党の人と共謀し、イエス様を殺す相談をしました。そのためにイエス様は会堂で説教することができなくなり、ガリラヤ湖畔などで説教をするようになります。
2、なぜイエス様は群衆に譬えで話をされたのか
イエス様の周りに多くの人が集まりました。人々の中にはパリサイ人やヘロデ党の人が混じっていたことでしょう。そのような中でイエス様は御言葉を教えられたのです。
ところで、なぜイエス様は群衆に譬えで話をされたのでしょう。一つの理由は、多くの人が、パリサイ人や律法学者と違って、農民や漁師など無学な人たちだったからです。譬え話だと耳に残り、大切な真理が伝わることがあるからです。4章33節に、イエス様が「このような多くの譬えをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された。」と書かれています。
ではなぜイエス様は譬えの解き明かしをされなかったのでしょう。それは11節にあるように、彼らには神の国の奥義が与えられていないからです。神の国の奥義がなければ本当の意味は分かりません。神の国の奥義とは、イエス様が救い主であるということの啓示です。イエス様が譬えの解き明かしをされなかったのは、人々がこの奥義を尋ね求めるようにされるためです。マタイの福音書7章7節「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。叩きなさい。そうすれば開かれます。誰でも、求めるものは受け、探すものは見出し、叩くものには開かれます。」これが神の国の特徴です。
12節でイエス様は、イザヤ書6章9節と10節の言葉を引用します。この時人々は、神の国や福音に関心を示さなかったのかもしれません。しかし、3節でイエス様は「よく聞きなさい」と言われ、9節でも「聞く耳のあるものは聞きなさい。」と言われました。イエス様はどこまでも、人々が聞いて悟り、悔い改めて罪を赦されることを願っています。
3、譬えの解き明かし
弟子たちは、人々がいなくなりイエス様だけになったとき、譬えの意味をイエス様に尋ねました。イエス様は、弟子たちに、あなた方には神の国の奥義が与えられているのに「この譬えがわからないのですか。そんなことで、どうしてすべての譬えが理解できるでしょうか。」と言われ、この譬えの解き明かしをされます。
道端に蒔かれた種は、鳥が来て食べてしまう。そのように、みことばを聞いても受け入れない人は、サタンが来てみことばを持ち去ってしまう。土の薄い岩地に蒔かれた種はすぐに芽を出すけれど、太陽が昇ると枯れてしまう。そのように、みことばを聞き喜んで受け入れるけれど、根が無い人は迫害や困難があるとつまずいてしまう。茨の中に蒔かれた種は、芽は出すが茨に覆われて成長できず実を結ばない。そのように、みことばを受け入れたが、この世の思いわずらいやお金に誘惑されたり色々な欲望に振り回される人は、結局実を結ばない。しかし、善い地に蒔かれた種は成長してたくさんの実を結ぶ。そのようにみことばを聞いて受け入れる人は30倍、60倍、100倍の実を結ぶ。
この譬えでイエス様が伝えておられるのは、信徒であってもなくても、みことばを聞いて受け入れないことがある、喜んで受け入れたが根付かないことがある、この世の思いわずらいやお金などに誘惑され欲望に振り回される。けれども、「悔い改めて福音を信じる」(マルコ1: 15)とき、イエス様が人の心を善い地に変えてくださるということです。
パレスチナの農家の種まきは、私たちが種を蒔く方法と随分違います。畑を耕す前に種を蒔くのだそうです。そうしてから牛に馬鍬をつけて引かせ、土を掘り起こして、種の上に土をかぶせます。私たちが悔い改めるとき、イエス様は私たちの心を掘り返してくださいます。善い土地に変えてくださいます。
4、イエス様を信じる
イエス様が蒔かれる種とは福音です。福音とは、私たちを救い出すため、イエス様がこの世に来てくださったということです。イエス様は、自分ではどうすることもできない状況から私たちを救い出してくださるため来てくださいました。そのために人となって生まれ、あらゆる苦しみを経験され、十字架の上で死んでくださいました。このイエス様は3日目に甦り、天に上り、信じた者のところに来て下さいます。罪を悔い改めて福音を信じる者は救われます。岩のような心、茨のような心であってもイエス様は変えて下さいます。イエス様を信じましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<マルコの福音書 4章1〜20節>
1イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。
2イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。
3「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
5また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
7また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
8また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
9そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
10さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
11そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
12それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため』です。」
13そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。
14種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
15みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです−−みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。
16同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです−−みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、
17根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
18もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです−−みことばを聞いてはいるが、
19世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。
20良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」