2026年8月30日



「福音は人を変える」(要約)

聖書箇所 マルコの福音書4章21〜34節


1、譬えとその解き明かし

(1)明かりの譬え

イエス様の時代、夕方薄暗くなると火皿に明かりを灯すのは普通の光景だったでしょう。明かりは枡の下や寝台の下ではなく、燭台の上に置きます。そのように福音という明かりも人々を照らす所に置かれます。キリストを信じて福音という明かりを与えられた人は、周りの人を照らすのです。

(2)秤の譬え

私たちは、いろんなものを秤にかけます。スーパーに行って、この店よりもあの店の惣菜の方が安くておいしいとか天秤にかけるわけです。イエス様がガリラヤ湖畔で話をされた時もそうでした。イエス様の話を聞いて感動する人、うなずく人がいたことでしょう。逆に、良い話だと聞いたから来たけれども、つまらなかったと言う人もいたでしょう。パリサイ人や律法学者たちは、気が狂った人の間違った教えだ、と言っていたのでした。実はこの譬えはそのことを言っています。あなたはイエス様のことばを秤にかけて聞いているが、その秤であなたは神様に秤られているのです、ということです。

イエス様の話を聞いた人の中で、特にイエス様の話を感謝して聞いた人は誰でしょう。それは「疲れた人、重荷を負っている人」です。「心の貧しい人」です。人々に虐げられ傷ついている人、周りから馬鹿にされたり、踏みつけられている人です。その人たちにイエス様は、「わたしがあなた方を休ませてあげます。」と言われました。反対に、イエス様のことばを聞いても感じない、受け入れない人は残念、ということです。

(3)種の譬え

この譬えは、イエス様を信じて受け入れた人の心の中で、信仰は、成長し豊かな実を結びますが、しかしどのように成長するのか分からない、ということです。「種まきの譬え」のように、「善い地に蒔かれた」クリスチャンの信仰は、日々の生活の中で成長します。教会の奉仕を続ける中で、地域のお母さんのため子育て支援をする中で、職場で熱心に働く中で、家族の介護をする中で、家事をする中で成長します。しかしどのように成長したのか自分で分かりません。成長させて下さるのは神様だからです。神様が人を変えるのです。自分はクリスチャンのようになりたいけれど、クリスチャンのようなことはできないと思う人がいたら、その人に、神様は信じた人を成長させてくださるので心配しないで大丈夫です、と伝えることができます。

(4)からし種の譬え

この譬えは、とても小さな種が、成長すると「大きな枝を張って、その影に空の鳥が巣を作れるほどになる」ように、悔い改めて福音を受け入れた人の信仰は、成長してまわりの人に安らぎを与えるようになるということです。

マタイの福音書25章に、羊と山羊の譬え話が出てきます。この世の終わりにイエス様は再臨され、すべての国の人々を集められます。そして人々を、羊と山羊に分けるように二つに分け、右にいる人たちに言います。「父なる神に祝福された人たち。あなたがたのために備えられた御国を受け継ぎなさい。あなた方はわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていた時に飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからです。」するとその人たちは、「主よ。いつ私たちは、そのようなことをしたのでしょうか。」といいます。するとイエス様は答えます。「まことにあなた方に言います。あなた方が、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」成長したクリスチャンは隣人に安らぎを与えます。クリスチャンは、他の人たちと違う世界を生きているのではありません。周りの人やこの社会を少しでも良くしていこうとするのです。

2、神の国の特徴

これら4つの譬えから、次のような神の国の特徴が分かります。第一に、神の国は、ダイナミックなところです。神の国は成長します。神様は神の国の民に恵みに恵みを与えて下さいます。神の民はいつも周りの人やこの社会を良くしようとします。第二に、神の国は、先ず神様が私たちを恵んで下さるところです。神様は私たちに福音を与え、私たちの心を照らします。私たちの信仰を育て、成長させ、実を稔らせて下さいます。第三に、神の国は、人々の目に隠れ、秘められています。悔い改めて福音を信じるときに明らかにされます。ですから福音の種を蒔く人が必要なのです。

3、福音は人を変える

イエス様は、神様のひとり子であり、一つの罪もない聖いお方です。しかし私たち人間は、アダム以来、罪と死とサタンに支配されてきました。それに気づかず、自分を責めたり、両親を責めたり、周りの人を責めていました。そこでは、どんなに努力しても平安はありません。

サタンの支配と罪の束縛から私たちを解放するため、天から来られた方がイエス様です。イエス様は、私たちを救い出すために、自ら十字架について死んで下さいました。私たちの罪をご自分のものとして背負って下さった(贖い)のです。しかし神様はイエス様を3日目に甦らされました。復活されたイエス様は、弟子たちに現れたのちに天に上られ、信じた者に聖霊を与えられました。このイエス様が、私たちに福音を与え、信仰を育て、周りの人や社会のために役立つようにしてくださるのです。福音は人を変えます。

今、多くの人が、自分の罪に、この世や悪魔の誘惑に苦しんでいます。多くの方が戦争の犠牲になっています。地震が続いて多くの被災者が出ています。この時代にクリスチャンのすべきことは、イエス様から頂いた信仰の明かりを掲げることです。周りの人々に、救いはここにあることを伝えていくことです。「御国がきますように」祈りましょう。


説教者:加藤 正伸 長老



マルコの福音書 4章21〜34節

21また言われた。「あかりを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。

22隠れているのは、必ず現れるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。

23聞く耳のある者は聞きなさい。」

24また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。

25持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」

26また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、

27夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

28地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。

29実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

30また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。

31それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、

32それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」

33イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。

34たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。