2026年8月2日
「イエス様がみもとに招かれた人」(要約)
聖書箇所 マルコの福音書2章1〜12節
(概要)
カペナウムで宣教を始められたイエス様は、近くの町や村を回り、再びカペナウムに戻ってきました。ある日、イエス様の権威ある教えを聞きに大勢の人たちが集まってきたので、イエス様は、その人たちにみことばを語っていました。そこには偉い律法学者達も来ていました。するとそこに中風の人が、4人の人に担がれてその家に着きます。しかし大勢の人がいたため、イエス様に近づくことができません。そこで4人は、イエス様がおられるあたりの屋根を剥がして、その中風の人を寝床ごと吊り下ろします。屋根を剥がせばほこりが出ます。屋根から人を吊り下ろすのですから、危険も伴います。しかし4人は、この人をイエス様に会わせたいという一心でした。イエス様はその彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された。」と言われました。
この言葉を聞いて、そこにいた律法学者たちは心の中であれこれ考えました。彼らは、罪を赦すことは神しかできないということを知っていました。それで彼らは心の中で、イエス様は神を冒涜していると考えます。しかしイエス様は、その律法学者たちの考えをご自分の霊で見抜いて言われます。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために。」そして中風の人に、「あなたに言う、起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」すると中風の人の病気は治り、大勢の人の見ている前で立ち上がり家に帰ったのです。
この箇所は私たちに、イエス様とはどのような方なのかを教えてくれます。
第一に、イエス様は、私たちの悲しみや罪に苦しむ心を温かく受け止めてくださる方です。イエス様は、律法学者たちの考えをご自分の霊で見抜かれたように、すべての人の思いや考えを見抜かれます。中風の人の心の中にあったのは、深い罪の悲しみでした。同じようにイエス様は、私たちの心の底にある思いをご存知です。私たちはいろんな思いを抱えて礼拝に来ます。喜びや感謝の時もあるし、悲しみに沈んでいることもあります。苦しくて、やっとの思いで来られる方もいらっしゃるでしょう。イエス様はそのあなたの心をご存知で、受け止めてくださいます。あなたのその心の思いを注ぎ出すところが教会です。
第二に、イエス様は私たちの罪を赦してくださる方です。イエス様は、律法学者たちに「あなたの罪は赦されたというのと、寝床をたたんで歩けと言うのとどちらが易しいか」と尋ねます。イエス様がこんな質問をされたのは、律法学者たちが、罪の赦しは神しかできないことをよく知っていたからです。10節の「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている」というおことばは、ご自分は神であるというイエス様の宣言です。しかし律法学者たちは、人間であるイエスが神であるはずはないと決めつけ、心を頑なにしていきます。
弟子のペテロたちもこのことばを聞いていましたが、イエス様がキリストであることはまだよくわからなかったようです。(ペテロの信仰告白は、8章29節まで待たなければなりません。)
罪は、根本的には神様に対する反逆です。そして神様だけが赦す権威を持っています。私たちは自分の罪を自覚して悩むことや、人から意地悪や侮辱されて心が傷つくことがあります。しかしイエス様の前に出て悲しみを告げ、罪を冒す自分を認めるとき、神様であるイエス様の赦しを経験するのです。人の苦しみは人の罪から来ます。しかし幸せはキリストから来ます。私たちの罪を扱える方はイエス様しかいません。イエス様が私たちに一番私与えたいと思っておられるのは罪の赦しです。
イエス様がなぜ私たちの罪を赦すことができるのか。それは、イエス様が、罪と死と悪魔の支配からすべての人を解放するためにこの世に来られ、私たちの罪を全て背負って十字架で死んでくださったからです。そのイエス様は、3日目に甦り、神様の右の座に着かれ、今、この世界を支配しておられます。
あなたは今、心の底に罪を抱えて苦しんでいませんか、誰かに憎しみや妬みを抱えて苦しんでいませんか、自分を責めていませんか。イエス様に罪を告白し悔い改めましょう。イエス様は、あなたの祈りを聞き、罪を赦して下さいます。
勧め
中風の人をイエス様のもとに運んだ4人の信仰は、誰かをイエス様のもとに連れていくために、私たちの信仰を神様が用いて下さることを示しています。私たちも、私たちの周りにいる人たちに祝福をもたらす器にしていただきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<マルコの福音書2章1〜12節
1 イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。
2 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
3 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。
4 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」
5 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
6 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」
7 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。
8 しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。
9 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。
10 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」
11 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。
12 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」
13 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家に入って、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」
また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。