2026年3月29日
「キリストの思いを抱く」(要約)
聖書箇所: ピリピ人への手紙2章1〜11節
ピリピの教会には、愛を持ってキリストを伝えている人たちもいましたが、純粋な動機からではなく、党派心や虚栄心、利己的な思いや名誉心から伝えている人もいました。パウロはそのことに心を痛め、ピリピの信徒たちに、みなが同じ思いとなり、愛の心を持ち、心を合わせて信仰に堅く立つように言います。自己中心的な思いは、教会の一致と平和を乱します。
パウロは、そのために、互いに人を自分より優れたものと思うように、自分のことだけでなく他の人のことも顧みるように言います。これが隣人愛です。この隣人愛は、キリストを信じる信仰から生まれてきます。私たちが互いに仕え合い、励まし合い、一致する力は神とキリストを信じる信仰から生まれてくるのです。
6節から8節は、イエス・キリストのこの地上のご生涯です。6節の「キリストは、神の御姿であられた」とは、イエス様は、神が人間になられた方であることを意味します。イエス・キリストはまことの神であり、まことの人です。人間は神によって「神のかたち」を与えられましたが、堕落によって神との交わりを失いました。イエス様は私たちを本来の「神のかたち」に回復させてくださる方です。
「神としてのあり方を捨てられるとは考えず」とは、イエス様がその特権を自ら捨てて人となられたという意味です。この世の常識ではこのようなことは考えられません。永遠におられる神が時間のある世界に、無限であられる神が有限の世界の中に、万物を創造された方が相対的な世界の中に入ってこられたのです。
7節と8節では、イエス様が神としての特権を用いず、人間と同じようになられたことが書かれています。イエス様は、私たちと同じ普通の人として母親から生まれ、子供時代を送り、一人のイスラエル人として成長し、貧しい農夫たちの間の一大工として働かれました。当時の人たちと全く同じ経験をされたのです。そして十字架の死にまでも従われます。
イエス様は神様ですから、いのちと死を支配するお方です。また全知全能であり遍在の方ですから、その力を用いることもできます。しかしイエス様は父なる神様のみ旨にしたがい、私たちの罪のために御苦しみを受けられました。
聖書には、イエス様がユダヤ人の迫害を受けたこと、ユダに裏切られたこと、ゲッセマネで弟子たちが逃げてしまったこと、ローマ兵たちからあざけりと侮辱を受けたこと、十字架に偽りの罪状が書かれたことが書かれています。その全てがイエス様に深い傷を負わせました。そして十字架の上で父なる神様から見捨てられると言う経験をします。(マタイ27:46)
イエス様は十字架の上で「完了した」と言われました。(ヨハネ19:30)これはすべての預言が成就され、イエス様の救いのみわざが完成したことを意味します。
すべての人は神様の敵として生まれてきます。原罪を持って生まれてくるからです。(ローマ人の手紙5:12)またアダムの違反によって、この世界は罪と死と悪魔が支配するようになりました。しかしイエス様は、その罪人の私たちを愛して、この罪と死と悪魔から救い出し、聖なるものとするために、天から下り、私たちのすべての罪を背負って十字架の上で死んでくださいました。これがイエス様の十字架の死の意味です。このイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちの罪は取り除かれ、神との正しい関係に入れて頂くのです。
パウロが、ピリピの人たちに、「キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなた方の間でも抱きなさい」と言ったのは、キリストと同じ心が与えられているのだから、その思いを抱きなさいということです。
個人の問題も教会の問題も、すべての問題の解決はイエス・キリストにあります。様々な問題を抱えて苦しむ時、悩むとき、キリストを見上げましょう。キリストが私たちにしてくださったことを思い出しましょう。キリストのうちにある思いを私たちも抱くことができるように祈りましょう。このイエス・キリストこそ、世の罪を取り除く「神の子羊」です。
説教者:加藤 正伸 長老
<ピリピ人への手紙 2章1〜11節>
1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。