2025年1月5日
「主の御声に聞き従う」
新約聖書:ヨハネの福音書10章1〜18節
1、始めに
私たちは、聖書が神様の書かれたことばであることを信じています。しかし、主の御声を聞き分けてますかと問われると困ってしまいます。失敗ばかりだからです。クリスチャンであっても、実際に様々な問題が起きると、自分の思いや考え、感情が先走ってしまいます。クリスチャンらしくないことをしてしまい、落ち込みます。主の御声を聞き分けて主に従うにはどうしたら良いのでしょう。
2、聖書箇所の説明
この箇所は、イエス様がパリサイ人に話をする場面です。イエス様を信じる人たちではなく、イエス様のことばを信じない宗教指導者たちに向かって語り、厳しく責めている箇所です。
(1)宗教指導者を責める
イエス様は、宗教指導者たちに向かって、あなた方は羊の囲いの中に入ってくる盗人や強盗のようなものだと言われました。また雇人のようなものだ、自分のものではないので羊のことを心にかけていないとも言われました。なぜなら彼らが、神様の御心を無視し、自分の利益を優先し、神の民を搾取し、滅ぼしていたからです。(エゼキエル書34章1節から4節を参照)
(2)羊の囲いと良き羊飼い
このとき、イエス様は彼らに、ご自分は羊の囲いであり、門だと言われました。羊の囲いというのは、その囲いの中にいるのは神の民だからです。門と言われたのは「わたし」すなわちキリストを通ってこの囲いの中に入るならその人は救われるからです。(7節、9節)
良き羊飼いといわれるのは、一つは、イエス様がご自分のものをよく知っていて、心にかけているからです。イエス様を信じる者もイエス様のことをよく知り、イエス様の声を聞き分け、ついていきます。「知る」とは、単に知り合うという意味ではなく、両者の間に信頼と愛の関係があること、心が通い合っていることです。(14節)
良き羊飼いといわれる二つ目は、ご自分のものである神の民のためにご自分のいのちを捨てるからです。イエス様は、ご自分のものが豊かにいのちを持つため、ご自分の「いのちを捨て」ました。イエス様は、父なる神様から与えられた人々を、ご自分のいのちよりも大切にされたのです。(11節、15節、18節)
(3)聞き従う者への祝福(27節から30節)
イエス様は、ご自分の声を聞き分け、従う者に永遠のいのちを与えてくださいます。その者はいつまでも滅びず、誰もイエス様と父なる神様の手から奪い取ることはできません。また父なる神様、イエス様と1つになります。
4、主の声を聞き分けるためには
では私たちは、どのように主の声を聞き分ければ良いのでしょう。
第1に、自分自身をよく知ること。クリスチャンであっても、実際に様々な問題が起きたり、他の人に不満を抱くような時、自分の思いや考え、感情が先走ってしまいます。そのような時どうすれば良いでしょう。自分の罪を知ることです。十戒を通して自分をよく知るのです。罪を悔い改めるとき、主は私たちの罪を赦して下さいます。
また羊が羊飼いの前を歩いたり道からそれるとき、羊飼いは杖で羊を引き戻すでしょう。私たちも同じです。主は、私たちが御ことばからそれたとき、戒めや訓練を与えて下さいます。実にこれは私たちにとって慰めです。
第2に、主をよく知ることです。主を良く知るには日々聖書に触れることが大切です。主との交わりの時間を過ごすのです。
また神様のご人格について理解するのも有益です。私たちには、神様について誤った理解をしてしまう可能性があるからです。
第3に、この世の誤った教えに気をつけること。この世の誘惑やサタンの企みのことです。キリストよりもカリスマ的指導者をあがめていないか、キリストが正しく理解されているか、(「キリストは模範」など)、罪の悔い改めを省いてないか(「キリストは全人類の罪を捨て去った」など)、注意が必要です。キリストの名前を使っていても結局自分の欲のためである団体が多いのです。こうした教えに誘われたときは、「決してついてはいかない。かえってその人から逃げる」ことが大切です。
最後に
私たちと神様との関係は、羊と良き羊飼いとの関係です。この方が、私たちの罪を贖い、日々の罪を聖め、心配し、必要なものを日々豊かに与えてくださいます。この一年、この「良き羊飼い」の御声に聞き従っていきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<ヨハネの福音書 10章1〜18節>
1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
5 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
6 イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。
7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。
9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
12 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
13 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」