2024年8月4日



「イエス様は罪人を招いておられる」(要約)

新約聖書:ルカの福音書19章1節〜10節



1、ザアカイの回心

イエス様は、十字架にかかられる直前、エリコに入られます。この町にザアカイという取税人のかしらがいました。(取税人とは外国から輸入する品物にかかる税を徴収する役人)ユダヤ人たちは、彼らが外国の支配者のために働き、時に恐喝行為を行い、異教徒と接触している彼らを嫌っていました。

そのザアカイは、イエスという人がとても気になっていました。なぜなら、イエス様が、譬えの中で取税人を用いておられたからです。(例えば18章のパリサイ人と取税人の宮の中の祈り)またイエス様が取税人や罪人たちと一緒に食事をするのを聞きました。(15章1節?7節)取税人の中にイエス様の弟子になった者もいます。(5章27節?32節)。 彼はイエス様を見たいと強く思いましたが、背が低かったので、イエス様が進む先のイチジク桑の木に登り、離れた所からイエス様を見ようとします。今も同じように教会に興味はあっても、遠くから見ている人は多いのではないでしょうか。(星の子ルームやジュニア礼拝は教会の窓口です) しかし彼はイエス様から声をかけられて、急いで木から降りてイエス様を迎えます。彼は嬉しくて仕方がありません。「自分の財産の半分を貧しい人たちに施します。騙し取った物は4倍にして返します。」と言います。彼の心は変わりました。「失われていた人」ザアカイが「新しく造られた者」になったからです。


2、罪の赦しと悔い改めの実

「盗みとは、相手の意思に反して自分のものにすることです。盗みには次のようなものがあります。強盗、万引き、不正な取引や詐欺、労働力の搾取、不忠実な労働や怠惰、遅刻、借りたものを返さず自分のものとすること、などです。盗みの本質は、全てを与えてくださる神への不信仰です。」(カテキズム問53) イエス様は、ザアカイを、罪人のまま、失われた状態のまま受け止めました。イエス様は言われました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マタイ9: 13)心を変えられたザアカイは、関税を騙し取ることはなくなりました。福音の恵みに預かった私たちにとって十戒は、罪を責め立てるものではなく、キリストと共に生きる道を教えるものになりました。


3、愛し合いと赦し合い  

神様から見て、私たちはみな、愛の対象です。神様は私たちの負い目(負債や果たしてない約束)を帳消しにして下さいました。あなたが過ちを犯しても、神様はあなたを愛することをやめません。自分で自分を見放すような時でも共におられます。また私たちは、特に神の家族との交わりで赦し合いましょう。人にはできないことが神にはおできになります。


説教者:加藤 正伸 長老



<ルカの福音書 19章1〜10節>

1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。

2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。

4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。

8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」