2024年7月21日



「自分の敵を愛する者に」(要約)

新約聖書:マタイの福音書5章17節〜26節



1、旧約聖書の「殺してはならない」の意味

「人を殺してはならない」。これは、戦争や犯罪は別として、人としてごく当たり前のことですね。神様は、この戒めで何を私たちに伝えようとしておられるのでしょう。

創世記4章には 人類最初の殺人事件が書かれています。カインは、神様が弟アベルの献げ物を喜び自分の献げ物に目を止められなかったことでアベルを妬み、神様に不満を持ちます。神から罪を治めるように言われたのですが弟を殺してしまいます。神様は人を殺すことを嫌う方です。

また、サムエル記第一24章と26章には、自分を殺そうとやってきたサウル王に復讐しなかったダビデのことが書かれています。神様は復讐を嫌う方です。

申命記32章35節には、「復讐と報いとは、わたし(主)のもの」。箴言25章21節には、「もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ」。レビ記19章18節には、「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」と書かれています。神様は、人を殺すこと、恨みを抱くこと、復讐すること、悪に報いることを禁じているのです。


3、新約聖書

今日の聖書箇所には、イエス様が、「人を殺してはならない」という十戒に触れ、兄弟に向かって腹を立てるものは裁きを受けなければならない、「能無し」と言う者は最高議会に引き渡される(重い罪ということです)、「ばか者」と言う者は「燃えるゲヘナ」(死んだ後で恐ろしい刑罰を受ける場所)に投げ込まれると言われたこと。だから、祭壇に供え物を献げようとしているとき、兄弟に恨まれていることを思い出したら、まず兄弟と和解しなさい、また裁判沙汰になったら早く仲直りしなさいと言われたことが書かれています。(23節?26節)

イエス様の弟子たちも、この教えを堅く守っていたようです。「愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。」(ローマ12:19) また「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」(ローマ12:17)

また旧約にはなく新約だけに見られることばがあります。「自分の敵を愛しなさい」、「祝福しなさい」ということばです。「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(Tペテロ3:9)

信徒同士については、イエス様は、「兄弟に向かって腹を立てる者は、誰でもさばきを受けなければなりません。」(マタイ5:22)と言われましたが、弟子ヨハネは、「光の中にいると言いながら、自分の兄弟を憎んでいる者は、今もなおやみの中にいるのです。」(Tヨハネ2:9)、また「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」(Tヨハネ3:15)と書きました。兄弟に腹を立てる者のうちにはキリストはとどまらないということでしょう。

これらのみことばを守ることは無理だと思う方がおられるかもしれません。しかしここにクリスチャンの幸いがあるのです。


4、いのちについて

人間にとって1番大切なものはいのちです。創世記2章7節にあるように、いのちは、主が人間に与えられたものだからです。(マタイ6:25、詩篇139:13〜16も参照) このことは、主がすべての人のいのちを大切に考えておられることを意味します。そこには私たちの敵も含まれます。主はすべての人のいのちが滅びないことを望んでおられるのです。


5、いのちを救うイエス様の愛

私たちは原罪を持って生まれてきました。「私たちの罪の性質は、自分に敵対する人に対して、呪いと仕返しを考えようとする。隣人から害を受けた時、自分の側にやり返して当然と言う大義を掲げる。しかし、ここに復讐と憎しみの連鎖が始まる。一度復讐をしたら、あなたは憎しみと復讐の連鎖の奴隷になる。その結果この世はますます邪悪な世界になり、人生には不幸が多い。」(ルター)

しかし神様は、罪と死が支配するこの世界から私たちを救い出すために、救い主イエス様を与えて下さいました。イエス様は自ら十字架を背負い、あなたのためにいのちを捨てられました。イエス様は十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23: 34)と言われましたが、この「彼ら」とは私たちのことです。

ところで、私たちがイエス様を信じたとき、私たちのうちに2つのことが起きました。罪の性質を持った古い人の死と新しい人の誕生です。(ローマ6:4)この古い人は十字架につけられ死にましたが、完全に無くなった訳ではありません。それで自分に悪口を言ったり意地悪をする人たちを呪ったり、仕返しすることを考えるのです。しかし私たちはそれに引きずられてはなりません。この古い人は死んでいくのです。同時に洗礼を受けたとき、私たちのうちに新しい人が生まれました。聖霊によって生まれたこの新しい人は、神に感謝し、神の御言葉を守ろうとします。聖霊は新しい人の成長を助けて下さいます。


6、勧め

ですからクリスチャンは、誰かに悪口や暴言を言われても、怒りを返さず、むしろ祝福を返しましょう。主の十字架によって自分自身の罪が許されていることを思い出しましょう。主に祈りましょう。これが主に認められる生き方です。ここには人に認められて喜ぶ生き方とは決定的な違いがあります。イエス様は、「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」と言われました。「人を殺してはならない」と言う戒めは、キリストの愛によって満たすことができるのです。


説教者:加藤 正伸 長老



<マタイの福音書 5章17〜26節>

17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。

21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

23 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、

24 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。

25 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。

26 まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。