2024年7月7日
「上に立つ権威に従う」(要約)
旧約聖書:創世記 9章18〜29節
十戒の第一戒から第三戒は神様と人との関係、第四戒から第十戒は人と人との関係を扱ってます。十戒はクリスチャンだけではない、すべての人にとっての真理であり、生きるべき基準です。私たちは第四戒から第十戒を縦の関係で考えていきます。
1、呪われたカナン
神様は、地上に人の悪が増大し、人の心に図ることがみな、いつも悪いことばかりだったので、大洪水を起こして人間を地の表から消し去りました。この時ノアだけが、主の心にかなっていました。神様はノアに箱舟を造るように命じ、ノアとノアの全家族だけを救われます。救われたノアたちが箱舟から出てきて最初に行ったことは礼拝でした。ノアは主のために祭壇を築き、全焼の生贄を献げます。神様はノアと息子たちを祝福され、雲の中に現れる虹を、神様と人間、またすべての動物との間の契約の印とされました。
さて、ノアは、洪水の後、ぶどう畑を作り始めますが、ここで1つの事件が起きます。
ノアが、出来上がったぶどう酒を飲み過ぎ酔っ払って素っ裸で寝てしまい、それを見たハムの子カナンが、このノアの醜態を言いふらしたのです。(聖書では、父の裸を見たのはハムとなっていますが、問題を起こしたのはその子カナンだったようです。)酔いから醒めカナンが自分にしたことを知ったノアは、カナンを呪います。神様から祝福を受けた祖父を尊敬せず、馬鹿にしたことを神様が嫌われたのです。私たちの神様は、「あなたの父と母を敬いなさい」と言われるお方です。事実この後モーセの後継者ヨシュアがカナンを征服し、このときの預言が成就します。
2、あなたの父と母を敬いなさい
ルターは、大教理問答書の中で、第四戒について次のように書いています。
この戒めは、第四戒から第十戒の中で第一にして最高のものである。なぜなら、「敬う」と言うのは「愛する」こと以上であり、そこには、神様が与えた権威に対しての礼節、謙譲、畏敬の念も含まれているからだ。さらに神様は、この戒めに好ましい約束を添えて、「これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである」と言われる。それほど、この戒めは神様にとって真剣なものだ。私たちは、両親の現実の状況ではなく、父母を造られた神の御心に注目すべきだ。両親が年老いて、病み、弱り、貧しくあるときにはよく面倒を見なさい。しかもそれらすべてのことを謙遜に、謹んで、喜んで行いなさい。この御言葉に従って生活する人々は、聖なる人である。
親を敬うことは、親を選んでくださった神を敬うということです。私たちは神様を愛するので、神様が与えてくださった両親を愛するのです。ノアが孫のカナンを呪った理由もここにあります。カナンのしたことは、神様が定められた人間関係の秩序を破壊する行為だったからです。
また他のすべての権威と言われるものは、(例えば会社の上司、社長、国の父である政府、総理大臣といった)この両親の権威から出て拡大したものです。神様は、この世の権威ある人たちを通して、私たちが安心して生活できるようにして下さっているからです。だから私たちもまた彼らを敬い、尊敬し、栄誉を与え、義務を負うのです。霊の父と言われる牧師についても同様です。
同時にこのことは、権威を持つ人たちの責任(両親、上司、役人や国の指導者、牧師)のをはっきりさせます。自分に委ねられている者たちを真心込めて忠実に世話をする、役人や国の指導者であれば国民のいのちと生活を守る義務があるということです。
3、現実と罪
しかし、現実はどうでしょう。多くの人が親を尊敬せず軽視してないでしょうか。尊敬できる親だったら尊敬する。尊敬できないような親は尊敬しないというのは大間違いです。先生、上司、社長、政府は自分の思い通りのことをしてくれないから聞きたくないというのも間違いです。
そのような考えは罪から出ています。罪は、アダムとエバのときから始まりました。神様から食べてはいけないと言われた木の実を食べました。二人が罪を犯した根本的な理由は、神を神とするのではなくて、自分が神となって世界を自分の思い通りにしたい、神様も自分のために役立たせて自己実現していきたいと考えたからです。これが原罪(創世記3: 5)です。残念ですが私たちも、この原罪を持って生まれてきました。上に立つ人を踏みつけて、自分の思い通りにしたいという罪の心をもって生まれてきました。
ルターは「今、多くの人が誠実さに欠け、人の体面や名誉を傷つけ、世の中に苦しみや悩み、殺人が多いのは、誰も彼もが、自分自身の主人となって、誰からも支配されることを好まず、人に気を配らず、好き勝手をしているからではないか。」と大教理問答書の中で書いていますが、現代にもそのまま当てはまると思います。
4、イエス様の救い
しかしここに救いがあります。イエス・キリストです。イエス様は、この罪の世からあなたを救うために、神のあり方を捨て、ご自分を虚しくして十字架の上で死なれました。そして、復活され、罪の世で苦しんでいたあなたにご自分を現し、救いに導いてくださいました。洗礼により私たちのうちの古い人が死に、私たちは新しいいのちに生きるのです。(ローマ6:4)。
洗礼を受けたクリスチャンは、第四戒に励まされて両親を大事にしようとします。しかし神様の恵みはそれだけではありません。私たちは、親の介護や世話をしている中でイライラしたり腹を立てたりします。実はそれは私たちのうちにある古い人の罪ですが、イエス様はその罪をも赦して下さいます。
また、これまで色々な事情があって思うように親の世話をすることができなかったことが負い目になっている方もおられるでしょう。クリスチャンであるが故の葛藤です。イエス様はその負い目も取り去ってくださいます。
肉を持つ限り私たちの罪はなくなりません。しかしその罪を悲しみ、イエス様にすがる時、イエス様は何度でもその罪を赦し、私たちを聖めてくださるのです。
こうして神様に赦されたクリスチャンは聖書のことばに従います。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威は全て、神によって立てられたものです。」(ローマ13: 1)ですから私たちクリスチャンは喜んで上に立つ権威に従うことができるのです。またこの戒めは、家族の祝福にもつながります。
5、箱舟の中の私たち
「この天地は滅び去ります。しかし、わたしの言葉は決して滅びることがありません。」(マタイ24: 35)ノアのときは、人々は洪水で滅びましたが、しかしイエス様を信じたクリスチャンは今「箱舟」の中にいます。イエス様に感謝し、今週も安心して過ごしていきましょう。
説教者:加藤 正伸 長老
<創世記 9章18〜29節>
18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
19 この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。
20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
29 ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。