2024年5月19日



「聖霊による教会の誕生」(要約)


新約聖書:使徒の働き 2章14〜42節



1 はじめに


(1)ペンテコステ(五旬節)について

今日はペンテコステ。聖霊が弟子たちに下って、最初の教会ができた日です。ペンテコステとは五旬節のギリシャ語訳。五旬節の祭りの日に聖霊が降臨されたということです。

出エジプト記(23章)と申命記(16章)には、イスラエルの民が主のために年に三度祭りを行ったことが書かれています。3・4月頃の過越の祭りと種なしパンの祭り、5・6月頃の五旬節、9・10月頃の仮庵の祭りです。

このうちペンテコステ、五旬節は、刈り入れの祭り、七週の祭りとも言います。過越の翌日から満7週と1日を数えた日、つまり50日目なので五旬節と言う訳です。安息日の翌日1日だけ行われます。イスラエルでは12月中頃に小麦の種巻きを行い、5月中頃に収穫します。この収穫の祝福に対する喜びと感謝を神様に表す、喜びの祭りなのです。

ペンテコステの当日、エルサレムでは、申命記26章に書かれているような儀式が行われていました。そこで民は、神様が、自分たちイスラエルの民にどんなに素晴らしいことをしてくださったのかを思い起こして喜んだのです。外国に散らばっていた多くのイスラエル人たちもエルサレムに来ていました。聖霊の降臨は、まさにその時に起きたのです。



2 ペンテコステ当日とペテロの説教


(1)聖霊降臨

ペンテコステの当日、信徒たちが集まっていた家全体に突然大きな響きが起ります。そして炎のような舌が分かれて現れて一人ひとりの上に留まり、聖霊に満たされ、御霊が語らせるまま他国の言葉で話し始めました。この大きな物音に集まってきた大勢の人に向かって、ペテロは、他の弟子たちとともに立って、説教をはじめます。

(2)ペテロの説教

ペテロは、最初に、このことは旧約聖書のヨエル書にある預言の成就であることを告げます。(17から21節、ヨエル2章28節から32節)。次に、「あなたがた」(イスラエルの民)がよく知る通り、イエス様は力あるわざと不思議としるしを行ったが、「あなたがた」がそのイエス様を十字架につけて殺したこと(23節、36節)、そのイエス様を、神様はよみがえらせたこと。(24節、32節)、このイエス様こそキリスト、救い主であること(22節から32節)、またこの方はダビデの子孫で、聖書に預言されている方であることを伝えます。(ルカ24: 20) そしてペテロは、このイエス様が御父から受けて聖霊を注いでくださったこと(33節)、このイエス様を「あなたがた」(イスラエル)は十字架につけたのだと迫ったのです。(36節)

ペテロの言葉に心を刺された人たちはペテロたちに言います。「私たちはどうしたら良いのでしょう」(37節)ペテロは答えて、「罪を赦していただくために、悔い改めてイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば罪赦され聖霊を受けます。」(38節、39節) 「この曲がった時代から救われなさい。」(40節) と言いました。



3 聖霊降臨から分かること


ここから私たちは2つのことがわかります。神様は、福音がすべての人に語られることを望んでおられること、そして悔い改めた人に洗礼を通して聖霊を注いで下さったということです。洗礼を受けた人たちは喜びの生活を送っていました。これは今日の教会生活についてもいえることです。洗礼を受けた後も日々の悔い改めを通してバプテスマによる新生の約束に帰る。その時私たちは、キリストを通して平安に満たされ、喜んで周りの人たちに仕えることができるのです。



4 聖霊とは


(1)三位一体の神様

聖霊は三位一体の神様の一位格です。ご承知のように、神様は唯一絶対の神、まことの神様。その神様に父と子と聖霊の3つの区別がある。父なる神。子なる神。聖霊なる神。父なる神は創造、子なる神は贖い、聖霊なる神はきよめの働きに関わっています。しかしこれは役割分担をしていると言うことでは無いのです。私たちが、主の祈りで「天にまします我らの父よ」と呼びかける時、父なる神様だけに呼びかけているのではありません。三つの位格は本質において一つだからです。

(2)聖霊のお働きとは

この人格を持っておられる神様が私たちにして下さること。それは、イエス様の赦しといのちを、説教と聖礼典で私たちに手渡してくださるということです。イエス様の名は、人が救われるための世界でたった1つの名。それを私たちに届けて下さるのが聖霊。

聖霊が働かれるのでなければ、誰も「イエスは主です」と言うことはできません。人は、ただ聖霊が臨むときに神様のもとに帰ろうと思うのです。だから信仰は神から贈り物なのです。そしてこの神様、聖霊が働かれるところ、それが礼拝の説教と聖礼典なのです。(Tコリント12: 3)

(3)クリスチャンは聖霊を与えられている

クリスチャンは聖霊を与えられています。「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、みよ、全てが新しくなりました。」(第二コリント5: 17)イエス様を信じたときに、私たちのうちに新しい命が宿りました。そして今日もあなたとともにおられます。

(4)聖霊は3つのことを与えてくださる

第一に、あなたを聖めて下さいます。「聖霊は、日々私たちを悔い改めに導き、私とすべての信者のあらゆる罪をことごとく赦します。」(カテキズム 問111) 「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。」(Tテサロニケ4: 3)

しかし御霊の働きを妨げるものがあります。古い自分の肉に引きずられて聖霊の聖めに抵抗する場合、御霊の働きは妨げられるのです。

第二に、終わりの日にからだを与えてくださいます。「…キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」(ローマ人8:11)

第三に、永遠の命を与えてくださいます。「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(ヨハネ 6:40)

では、私たちはこの方の働きをどこで見ることができるのでしょう。それはイエス様が崇められるところ、教会です。「御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。」(ヨハネ16: 14)



5 勧め


ペンテコステは、外国に散らばっている多くのイスラエル人たちがエルサレムに集まり、かつて神様がエジプトで奴隷であったイスラエルの民を救い出し、豊かなカナンの地に導いて下さったことを思い起こして感謝するお祭りでした。

聖霊降臨記念日も同じです。かつて罪と死から、悪魔の支配から逃れられずに苦しんでいた私たちが、聖霊によりイエス様の救いといのちを与えられ、罪と死から、悪魔の支配から自由にさせて頂いたことを感謝して喜ぶ日です。これからは神様の御旨を行なっていこうという思いを新たにする日なのです。


まだイエス様を信じていない方は知ってください。ペンテコステの日、ペテロの説教を聞いたユダヤ人たちは言いました。「私たちはどうしたら良いのでしょう」(37節)ペテロは言いました。「罪を赦していただくために、悔い改めてイエス・キリストの名によってバプテスマを受けよ。そうれば罪赦され聖霊を受ける。」(38節、39節) 人間には、イエス・キリストの名前の他に救いはありません。イエス様を信じて、この曲がった時代から救って頂きましょう。(40節)

クリスチャンの方にお勧めします。聖霊はイエス様が崇められるところで働かれます。イエス様が崇められるところとは、みことばが語られ、聖礼典が行われるところ、教会です。ですから礼拝を大切にすることをお勧めしたいのです。私たちは教会で恵みを受けることができるのです。


説教者:加藤 正伸 長老



<使徒の働き 2章14〜42節>

14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。

20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。

23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。

24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。

25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。

26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。

27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。

28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』

29 兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。

30 彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。

31 それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。

32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。

34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。

35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。