2023年2月12日
「神さまは真実な心からの礼拝を求めています」
旧約聖書:アモス書 3章〜6章
簡単に、前回お話しした1章〜2章までのあらすじをご説明します。
アモスは、職業預言者では無く、南ユダ王国に住む羊飼いでしたが、アモスは神さまからの召命により、北イスラエル王国で預言しました。
アモスが預言した時代は、南ユダ王国ではウジヤ王の治世であり、北イスラエル王国ではヤロブアム二世の治世でした。この時代は、物質的には非常に繁栄した時代でしたが、偶像礼拝がまん延した時代でもありました。
そんな北イスラエル王国で、アモスはまず、周辺諸国への神さまの裁きを預言しました。それを聞いて北イスラエル王国の人々は拍手喝采だったと思いますが、周辺諸国への裁きの預言に続いて、アモスは北イスラエル王国への裁きの預言を語り始めました。
U.北イスラエル王国への裁きの預言
3章から6章では、北イスラエル王国への裁きの預言をさらに掘り下げています。
a.特権と責任(3:1-15)
アモスが預言したとき、イスラエルは北と南に分かれていました。イスラエルの人々は、自分たちが神さまから選ばれた民だという自覚はありましたが、それはいつしか特権意識だけが成長して、神さまから選ばれたことには責任も伴っているということを忘れ、自分たちは選ばれているのだから決して裁かれることは無いという間違った自信をもっていました。
そして、北イスラエル王国の民が何をしたのかというと、それは、偶像礼拝です。
アモス書3章13節から15節。
「聞け。
そして、これをヤコブの家に証言せよ。
――神である主、万軍の神の御告げ――
まことに、
イスラエルがわたしに犯したそむきの罪を、
わたしが罰する日に、
わたしはベテルの祭壇を罰する。
その祭壇の角は折られて、地に落ちる。
わたしは冬の家と夏の家とを打つ。
象牙の家々は滅び、
多くの家々は消えうせる。
――主の御告げ――」
ベテルは、北イスラエル王国の中でも屈指の偶像礼拝の町でした。
ベテルは、ヤコブが神の啓示を受けて、祝福の契約を与えられた場所で「神の家」という意味の場所です。それが、王国屈指の偶像礼拝の町、ありとあらゆる偶像礼拝が行われる町となっていたのです。
b.イスラエルの退廃(4:1-13)
イスラエル人たちは、当時は割礼も受けていましたし、形式的には、いけにえを献げたりなどの律法に沿った宗教儀式はきちんとしていたと思われます。そのため、自分たちは割礼も受けていない周辺諸国の民とは違って神さまに選ばれているという自負がありました。そして、神さまに選ばれている自分たちを神さまが裁くはずが無いという自信も持っていました。
また、当時は物質的には非常に繁栄していましたので、人々は神殿にささげものをするのが大好きでした。そうやってたくさんのささげものをする信仰深い自分が大好きでした。そして、そのたくさんささげ物をしている信仰深い自分という気持ちがおごりとなり、偶像礼拝をしても決して裁かれないと信じていました。
しかし、偶像礼拝をして悔い改めなかったら、裁かれないということはありません。礼拝は、形だけ律法に沿っていれば良いと言うものではありません。
律法は、確かに、イスラエルの民の行動の規範として与えられています。しかし、これは、今も昔も同じなのですが、律法を守るという行動によって救われることはありません。救いは、神さまを信じる信仰によるもので、神さまからの一方的な恵みです。自分自身を救うことのできない私たちの行動は、何一つ救いをもたらすことはありません。
律法は、イスラエルの民が神さまからの選びによって救われているという事実があって、さらに、イスラエルの民が間違ったことをして死ぬことが無いようにと与えられた行動の規範です。
律法は良いものとして与えられていますが、律法を守ることによって当時のイスラエル民族も私たちも救われると言うことはありません。救いは、神さまを信じる信仰によるもので、神さまからの一方的な恵みです。
もし、行動によって救われるということを言う人がいたら、それは、律法主義で誤りです。律法は良いものとして神さまから与えられていますが、律法主義は誤りです。私たちは、自分自身で自分を救うことはできません。救いは神さまからの恵みによるものです。
さて、アモスの時代でも、神さまが求めていらっしゃったのは、律法に沿った形の整った礼拝では無く、人々の心からの真実の礼拝です。アモスの時代、選びの民であるイスラエルであっても、神さまは人々に神さまを信じる心を求めていらっしゃいました。神さまは、律法のとおりに生け贄を献げ続けることだけを求めていたわけではありません。
それなのに、北イスラエル王国の人々は、片方では神さまを礼拝しながら、片方では偶像礼拝もしていました。しっかり神さまを信じているなら、偶像礼拝もしてもいい、ということはありません。当時も、それは裁かれる理由になりました。
イエス様も、マルコの福音書11章15節から17節で人々の形式的な礼拝を戒めていらっしゃいます。
イエス様の時代にも、人々は神殿で礼拝を献げていました。まだ、いけにえも献げていた時代なので、神殿にはいけにえを売る人々やいけにえを買うためのお金を両替する両替商などが当たり前のようにいました。当時の人々にとっては、律法通りにいけにえを献げると言うことはとても大切なことだったのでしょう。
しかし、神さまは形式通りなのかどうかということは重要視されません。神さまが求めておられるのは礼拝の中身です。私たちが心から礼拝しているかどうかです。また、神さまを信じていると言いながら、神さま以外のものを第一にする偶像礼拝をしていないかどうかです。
もし、形式的に正しい整った礼拝を献げたとしても、心が神さまの方を向いていなければ、その礼拝が喜ばれることはありません。イエス様もこのように言われています。
マタイの福音書15章7節から9節。
「偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。
『この民は、口先ではわたしを敬うが、
その心は、わたしから遠く離れている。
彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。
人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」
もし、私たちが神さまや聖書の本質を理解しないで、説教者が、ああしなさい、こうしなさい、という行動を戒める部分だけを受け取るなら、それは真実な心からの礼拝にはならないということです。
そして、アモス書4章6節から11節には、北イスラエル王国への裁きの内容が預言されています。それは5つあって、「飢饉と欠乏(6節)」「干ばつ(7節から8節)」「作物の病害虫(9節)」「疫病と軍事的災害(10節)」「地震(11節)」です。
c.勧告と宣告(5:1-6:14)
さて、アモスがここまで北イスラエル王国への裁きを預言しても、北イスラエル王国の人々は悔い改めて神さまに立ち返ることをしませんでした。
この後、アッシリヤに滅ぼされて、北イスラエル王国の人々は捕囚の民となってイスラエルの地から連れ出されていきます。アモスはそのことが分かって、北イスラエル王国のかたくなさを嘆き悲しみ、哀歌を歌いました。それが5章からの部分です。
神さまの本当の目的は北イスラエル王国を滅ぼすことではありません。神さまは、北イスラエル王国の人々が偶像礼拝をやめて、悔い改めて神さまに立ち返ることを望んでおられました。しかし、人々が悔い改めないので、北イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされることになります。
アモスは5章4節5節ではっきりとこう言っています。
「まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。
「わたしを求めて生きよ。
ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。
ベエル・シェバにおもむくな。
ギルガルは必ず捕らえ移され、
ベテルは無に帰するからだ。」
また、6節でも「主を求めて生きよ。」と言っています。
さらに、5章14節15節でも、神さまに立ち返るように言っています。
しかし、北イスラエル王国の人々は悔い改めることをしませんでした。
北イスラエル王国の人々は、割礼を受けて、たくさんのいけにえもささげて礼拝をして、表面的には非常に敬虔なユダヤ教徒でした。しかし、そのようにしながら、偶像にもささげ物をして、神さまを裏切っていました。
私たちも、毎週日曜日には教会に来て神さまを礼拝しながら、お正月には初詣に行き、厄年にはお祓いをしてもらう、というようなことであればそれは神さまを悲しませ、もし、偶像礼拝を止めなければ救いから漏れることもあると知っていなければなりません。しかし、このような偶像礼拝の例は非常に分かりやすいもので、洗礼を受けたクリスチャンは、そのようなことは注意深く避けていると思います。そうすると、私たちがもっと気を付けなければいけないのは、心の中で神さまよりも優先しているものが無いかということです。
ここで、誤解していただきたくないのは、クリスチャンは趣味をもってはいけないとか、楽しんではいけないと言うことを言っているのでは無いということです。また、お金は偶像になりやすいものですが、お金を得る行動のすべてを否定するものではありません。神さまよりも優先してしまっているものがないかどうかは、自分でしか分からないことなので、自分の心をよく吟味する必要があると思います。また、あの人のあの行動は神さまよりも優先しているのでは無いかと安易に人を裁くことには慎重にならなければいけないと思います。裁くのは神さまのすることで、私たちのすることではありません。
アモスが預言した北イスラエル王国への裁きの預言は、結果的には成就して、北イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされることになります。しかし、神さまはそうすることを望んでいたわけではなく、北イスラエル王国の人々が悔い改めて神さまに立ち返ることを望んでいました。
これは、いつでも、私たちに対しても同じです。
V.まとめ
私たちが救われたのは、私たちに良いところがあったからではなく、神さまの恵みによる一方的な選びです。それは、イスラエル民族が選ばれたときも同じでした。
神さまは、私たちに真実な心からの礼拝を求めておられます。イスラエル民族に対しても同じでしたが、アモスの時代、彼らは神さまを礼拝しながら偶像礼拝もしていました。アモスは、偶像礼拝をやめて悔い改めるように言いましたが、北イスラエル王国の人々が神さまに立ち返ることはありませんでした。
日本では、むしろクリスチャンの方が少数派なので、私たちは慎重に仏教や神道に関わることを避けていると思いますが、偶像礼拝は他の宗教と関わることだけではなく、神さま以外のものが自分の中で一番になってしまったら、それは偶像礼拝なのだということを覚えていて欲しいと思います。
では、私たちが真実な心からの礼拝をするためにはどうしたらいいのかというと、信仰と知恵を増し加えていただけるように日々祈ることだと思います。私たちは誰でも、イエス様の前では信仰の足りない者です。そして、自分の努力で信仰を増し加えることはできません。自分の努力で真実な心からの礼拝ができるクリスチャンになろう!と、頑張るのではなく、日々、祈りつつ、神さまに変えていただきましょう!
アモス書 3章1〜15節
1イスラエルの子らよ。主があなたがた、すなわちわたしがエジプトの地から連れ上ったすべての氏族について言った、このことばを聞け。
2わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、わたしはあなたがたのすべての咎をあなたがたに報いる。
3ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。
4獅子は、獲物がないのに、森の中でほえるだろうか。若い獅子は、何も捕らえないのに、そのほら穴から叫ぶだろうか。
5鳥は、わながかけられないのに、地の鳥網にかかるだろうか。鳥網は、何も捕らえないのに、地からはね上がるだろうか。
6町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか。
7まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。
8獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。
9アシュドデの宮殿と、エジプトの地の宮殿に告げて言え。「サマリヤの山々の上に集まり、そのうちの大恐慌と、その中のしいたげを見よ。
10彼らは正しいことを行うことを知らない。−−主の御告げ−−彼らは自分たちの宮殿で、暴虐と暴行を重ねている。」
11それゆえ、神である主はこう仰せられる。「敵だ。この国を取り囲んでいる。彼はあなたの権威を地に落とし、あなたの宮殿はかすめ奪われる。」
12主はこう仰せられる。「羊飼いが、雄獅子の口から、二本の足、あるいは耳たぶを取り返すように、サマリヤに住んでいるイスラエルの子らは、寝台の隅やダマスコの長いすから救い出される。」
13「聞け。そして、これをヤコブの家に証言せよ。−−神である主、万軍の神の御告げ−−
14まことに、イスラエルがわたしに犯したそむきの罪を、わたしが罰する日に、わたしはベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折られて、地に落ちる。
15わたしは冬の家と夏の家とを打つ。象牙の家々は滅び、多くの家々は消えうせる。−−主の御告げ−−」
アモス書 4章1〜13節
1聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ」と言う。
2神である主は、ご自分の聖にかけて誓われた。見よ。その日があなたがたの上にやって来る。その日、彼らはあなたがたを釣り針にかけ、あなたがたを最後のひとりまで、もりにかけて引いて行く。
3あなたがたはみな、城壁の破れ口からまっすぐ出て行き、ハルモンは投げ出される。−−主の御告げ−−
4ベテルへ行って、そむけ。ギルガルへ行って、ますますそむけ。朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。
5感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ。イスラエルの子ら。あなたがたはそうすることを好んでいる。−−神である主の御告げ−−
6わたしもまた、あなたがたのあらゆる町で、あなたがたの歯をきれいにしておき、あなたがたのすべての場所で、パンに欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。−−主の御告げ−−
7わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。
8二、三の町は水を飲むために一つの町によろめいて行ったが、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。−−主の御告げ−−
9わたしは立ち枯れと黒穂病で、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木がふえても、かみつくいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。−−主の御告げ−−
10わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送り、剣であなたがたの若者たちを殺し、あなたがたの馬を奪い去り、あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつかせた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。−−主の御告げ−−
11わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。−−主の御告げ−−
12それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
13見よ。山々を造り、風を造り出し、人にその思いが何であるかを告げ、暁と暗やみを造り、地の高い所を歩まれる方、その名は万軍の神、主。
アモス書 5章1〜27節
1イスラエルの家よ。聞け。私があなたがたについて哀歌を唱えるこのことばを。
2「おとめイスラエルは倒れて、二度と起き上がれない。彼女はおのれの地に投げ倒されて、これを起こしてくれる者もいない。」
3まことに、神である主はこう仰せられる。「イスラエルの家で、千人を出征させていた町には百人が残り、百人を出征させていた町には十人が残ろう。」
4まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。
5ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するからだ。」
6主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。
7彼らは公義を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。
8すばる座やオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼んで、それを地の面に注ぐ方、その名は主。
9主は強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。
10彼らは門で戒めを与える者を憎み、正しく語る者を忌みきらう。
11あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から小作料を取り立てている。それゆえあなたがたは、切り石の家々を建てても、その中に住めない。美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲めない。
12私は、あなたがたのそむきの罪がいかに多く、あなたがたの罪がいかに重いかを知っている。あなたがたは正しい者をきらい、まいないを取り、門で貧しい者を押しのける。
13それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。それは時代が悪いからだ。
14善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。
15悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。万軍の神、主は、もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない。
16それゆえ、主なる万軍の神、主は、こう仰せられる。「すべての広場に嘆きが起こり、すべての通りで、人々は『ああ、ああ』と言い、農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を知っている者たちを呼んで来て、嘆かせる。
17すべてのぶどう畑に嘆きが起こる。それは、わたしがあなたがたの中を通り過ぎるからだ」と主は仰せられる。
18ああ。主の日を待ち望む者。主の日はあなたがたにとっていったい何になる。それはやみであって、光ではない。
19人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家に入って手を壁につけると、蛇が彼にかみつくようなものである。
20ああ、まことに、主の日はやみであって、光ではない。暗やみであって、輝きではない。
21わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。
22たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。
23あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。
24公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。
25「イスラエルの家よ。あなたがたは、荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣とささげ物とをわたしにささげたことがあったか。
26あなたがたはあなたがたの王サクテと、あなたがたのために造った星の神、キウンの像をかついでいた。
27わたしはあなたがたを、ダマスコのかなたへ捕らえ移す」とその名を万軍の神、主という方が仰せられる。
アモス書 6章1〜14節
1ああ。シオンで安らかに住んでいる者、サマリヤの山に信頼している者、イスラエルの家が行って仕える国々の最高の首長たち。
2カルネに渡って行って見よ。そこから大ハマテに行き、またペリシテ人のガテに下って行け。あなたがたはこれらの王国よりすぐれているだろうか。あるいは、彼らの領土はあなたがたの領土より大きいだろうか。
3あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている。
4象牙の寝台に横たわり、長いすに身を伸ばしている者は、群れのうちから子羊を、牛舎の中から子牛を取って食べている。
5彼らは十弦の琴の音に合わせて即興の歌を作り、ダビデのように新しい楽器を考え出す。
6彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。
7それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。
8神である主は、ご自分にかけて誓われる。−−万軍の神、主の御告げ−−わたしはヤコブの誇りを忌みきらい、その宮殿を憎む。わたしはこの町と、その中のすべての者を引き渡す。
9一つの家に十人残っても、その者たちも死ぬ。
10親戚の者でこれを焼く者が家から死体を持ち出すために、これを取り上げ、その家の奥にいる者に向かって言う。「あなたのところに、まだいるか。」彼は言う。「だれもいない。」また言う。「口をつぐめ。主の名を口にするな。」
11まことに、見よ、主は命じる。大きな家を打ち砕き、小さな家を粉々にせよ。
12馬は岩の上を走るだろうか。人は牛で海を耕すだろうか。あなたがたは、公義を毒に変え、正義の実を苦よもぎに変えた。
13あなたがたは、ロ・ダバルを喜び、「私たちは自分たちの力でカルナイムを取ったではないか」と言う。
14「まことに、イスラエルの家よ、今、わたしは一つの民を起こしてあなたがたを攻める。−−万軍の神、主の御告げ−−彼らはレボ・ハマテからアラバの川筋まで、あなたがたをしいたげる。」
説教者:菊池 由美子 姉