2023年1月15日



「神のみわざのとき」

新約聖書:ヨハネの手紙 7章1節〜24節




始めに


イエス様の公生涯は、ある聖書註解書によると大きく6つの時期に分けられるそうです。最初は宣教の準備で、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、また悪魔の誘惑を受けた時期。

2番目は、最初のユダヤ宣教。カナの婚礼で水をぶどう酒にかえ、その後エルサレムで、過越の祭りの宮きよめ、ニコデモとの対話などがありました。

3番目は、ガリラヤでの宣教。カペナウムの役人の息子を癒し、安息日に病気の人を癒します。また5千人の給食、いのちのパンの教え、4千人の給食などがあった約2年間です。

4番目は、2度目のユダヤ宣教。律法学者やパリサイ人との議論があり、イエス様を捕まえよう、石打にしようとする試みが本格化します。

この後、ペレア地方の約4ヶ月の宣教を経て、最後の週を迎えます。

今日のこの箇所は、4番目、イエス様が十字架につけられる過越の祭りの約半年前、10月ごろのことです。内容はイエス様と兄弟との会話、エルサレム神殿での教えの2箇所です。



1.イエス様と兄弟との会話


イエス様には弟が4人いました。ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダです。(マタイ13: 55)仮庵の祭りが近づいた頃、イエス様の弟たちは、イエス様に向かって言いました。「あなたの弟子たちも、あなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。自分から公の場に出たいと思いながら、隠れたところでことを行う者はありません。あなたがこれらのことを行うのなら、自分を世に現しなさい。」 「あなた」や「しなさい」という言い方から、冷たく、突き放すように言ったように思います。

イエス様の弟たちは、どんな思いでいたのでしょうか。弟たちも「ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていた」ことを知っていたはずです。母のマリアはイエス様が神の御子であることを信じていましたが、弟たちは信じていませんでした。

この時イエス様は自分の故郷で貴ばれる存在ではありませんでした。むしろ、イエス様が故郷の会堂で、自分がメシアだと証しをした時、町の人々は町の外に追い出し、崖のふちから突き落とそうとしました。(ルカ4: 28)

またマルコ3章には、イエス様が伝道している時、イエス様の母と弟たちが来たことが記されています。家族が来たのは、人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたのでイエス様のことを心配したからです。また、エルサレムから来た律法学者たちは、「イエスは汚れた霊に憑かれている」と言いました。

さらに6章には、イエス様が「わたしは天から下ってきたパンです」と話したことが書かれていますが、その時ユダヤ人の指導者たちが「あれはヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今「わたしは天から下ってきたと言ったりするのか。」(ヨハネ6: 41:?44) と言いました。弟たちは兄であるイエス様のことで困っていたのではないでしょうか。

しかしイエス様は、兄弟たちの言葉を否定せずに、「わたしの時はまだ来ていない。しかしあなた方の時はいつでも用意ができている。世はあなた方を憎むことはできないが、自分のことは憎んでいる。自分が世についてその行いが悪いことを証ししてるからだ」と答えられました。イエス様は弟たちの思いもご存知だったのでしょう。パリサイ人たちに話すときは違い、優しく諭すような言い方です。イエス様の温かさが感じられるように思います。

私たちも家族から、冷たい言葉をかけられることがあります。その時私たちは、肉親だけに辛い思いをします。しかし、このようなときイエス様は必ず私たちと共にいて下さいます。家族のために祈りつつ、主が働かれるその時を待ちたいと思います。私たちが救われたことも、神様の時でした。聖霊が働いて下さいます。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道者の書3:11) と言うみことばがあります。

イエス様の弟、ヤコブは、イエス様が十字架の死から復活された後、イエス様を信じ、その後教会の指導者になりました。



2.エルサレム神殿での説教


この後、イエス様は、内密にエルサレムに向けて出発します。そして祭りの中頃に神殿に着いて、ユダヤ人の指導者と群衆に教え始められました。ユダヤ人と言うのはユダヤ人の指導者と言い換えて良いようです。

12節、13節に、群衆のある人たちが、イエス様を「良い人だ」と言い、別の人たちは「違う、群衆を惑わしているのだ」と言ったと書かれています。今も同じです。私たちの周囲の人も、私たちクリスチャンのことをよく言う人もいるし、惑わされているのではと言う人もいるでしょう。

15節で、イエス様の教えを聞いたときユダヤ人の指導者たちは、イエス様が正式に学んだこともないのに学問があると驚きます。これに、イエス様は 自分が神から遣わされた者だと言うこと、そしてこの教えは、神から出たものであるということを話されます。私たちも、聖書を読む時、神の知恵を与えられます。

17節、イエス様は、「神を愛し、神のみことばを守ろうとしている人には、わたしの教えが神から来たものであることがわかる」と言われます。クリスチャンは、聖霊の助けによりイエス様のみことばがわかります。

18節でイエス様は、「自分から語る人は自分の栄誉を求める。しかし、わたしは、自分を遣わされた方の栄誉を求めている」と話されています。これは、ユダヤ人の指導者たちは人から賞賛されるために語るが、ご自分は神の栄誉を求めて語ると言うことです。

私たちも、誰かにみことばを取り次ぐときに注意しなければなりません。説教をするとき、伝道する時には、自分に栄光を帰するのではなく、栄光を神様に帰するように話するようにすることが大切です。神に栄光を帰するとは、あの人は博識だ、偉いと思わせるようではなく、神様がどんなにすばらしい、真実で優しい方であるか伝えるように話すと言う事ですね。

次に律法について、19節で、イエス様は私たち人間に律法を守ることを求めておられることが分かります。十戒は神様がすべての人に守るように与えたものです。神様は、すべての人が神の前にへりくだり、神様との関わりを大切にすることを求めておられます。救われた私たちも、律法に目を止める事は大切なことです。ですから私たちの教会では、月に1回、十戒を礼拝の中で声を出して読むようにしています。

22節、23節で、イエス様は、 あなた方はモーセが与えた割礼を安息日にも施しているが、その安息日に病気を癒したわたしに腹を立て、わたしを殺そうとする、と言われました。  

ユダヤ人たちは、表面的に律法を守ることを重視し、安息日に出歩くこと、仕事をすること、病気を癒すことなどを禁じました。しかし子どもには割礼を施しました。安息日に割礼を施すのは、出産後8日目と決まっているからです。

イエス様は安息日の主です。安息日は、私たち人間が、主から恵みを受け取る日です。主は安息日に、癒しのみわざを行い、恵みを施して下さる方なのです。



3.まとめ


私たちは、家族から理解されない、周囲の人たちから理解されないことを経験するかもしれません。イエス様も弟たちから理解されない、ユダヤの指導者や人々から理解されませんでした。また私たちの信仰は、社会の中で試されます。

しかし、主はどのような時でも、主を信じる私たちを守り支えてくださいます。神様のみことばにととどまり、今週も主と共に歩んでいきましょう。





1 その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。それは、ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡りたいとは思われなかったからである。

2 さて、仮庵の祭りというユダヤ人の祝いが近づいていた。

3 そこで、イエスの兄弟たちはイエスに向かって言った。「あなたの弟子たちもあなたがしているわざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。

4 自分から公の場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行う者はありません。あなたがこれらの事を行うのなら、自分を世に現しなさい。」

5 兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。

6 そこでイエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも来ているのです。

7 世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。

8 あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには行きません。わたしの時がまだ満ちていないからです。」

9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。

10 しかし、兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。

11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。

12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「違う。群衆を惑わしているのだ」と言う者もいた。

13 しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はひとりもいなかった。

14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。

15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」

16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。

17 だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。

18 自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。

19 モーセがあなたがたに律法を与えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも、律法を守っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか。」

20 群衆は答えた。「あなたは悪霊につかれています。だれがあなたを殺そうとしているのですか。」

21 イエスは彼らに答えて言われた。「わたしは一つのわざをしました。それであなたがたはみな驚いています。

22 モーセはこのためにあなたがたに割礼を与えました。−−ただし、それはモーセから始まったのではなく、父祖たちからです−−それで、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。

23 もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか。

24 うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」





説教者:加藤 正伸 長老