2023年1月1日 元旦礼拝



「わたしにとどまりなさい」

新約聖書::ヨハネの福音書15章1節から11節



(始めに)

現在は、混迷の時代と言われます。昨年2月から始まったロシアのウクライナ戦争は、国際社会のあり方を大きく変えました。安全保障政策が声高に叫ばれ、防衛予算が一気に拡大しました。また、エネルギー政策も、原子力発電所再稼働に舵を切りました。今年はどんなことが起きるのか、私たちは不安の中にいます。

しかし私たちの神様は、クリスマス礼拝でお話ししたように、どのような時も希望と平和の神様です。今日は年頭にあたって、皆さんとヨハネの福音書15章からそのことを学びたいと思います。



1 背景


さて、この箇所は、イエス様が十字架につけられる前の晩の夕食、いわゆる最後の晩餐の場面です。イエス様の話は、13章から始まり17章まで続きます。当然のことですが、イエス様が話をされたのは弟子たちです。聖書の中には、弟子たちに語られた言葉と、群衆やパリサイ人に語られた言葉が出てきますが、それとは区別しなければなりません。

13章から15章で、イエス様は、父である神とご自分が弟子たちを愛していることについて、そして弟子たちに「互いに愛し合うこと」について繰り返し語られます。

13章1節を見て下さい。「世にいる自分のもの愛されたイエスは、その愛を残るところなく示され」ます。夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって、腰にまとい、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い、腰にまとっている手ぬぐいで拭き始められました。

弟子たちは驚いたことでしょう。

そして14節で、「主であり師であるわたしが、あなた方の足を洗ったのですから、あなた方もまた、互いに足を洗い合うべきです。」と言われ、24節では、「あなた方に新しい戒めを与えましょう。あなた方は互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、そのように、あなた方も互いに愛し合いなさい」と言われます。14章でも、弟子たちに互いに愛し合うことを勧めている箇所があります。(15節、21節) 今日の15章の箇所もそういう文脈で読んでいくことになります。



2 イエス様が私たちに求めておられること


先ず一節「わたしはまことの葡萄の木、わたしの父は農夫です。」そして「わたしの枝で実を結」びなさいと、弟子たちに語りかけます。

枝は、木から栄養をもらわなければ、枝だけでは、実は実りません。私たちも、イエス様につながっていなければ、実を結ぶことができません。また葡萄畑の農夫である天の父は、私たちが実を結ぶように植えられたのです。神様とイエス様は、枝である私たちがイエス様にとどまり、実を結んでほしいと願っているのです。

では「実」とは何でしょう。ガラティヤ人への手紙5章22節に「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」とあります。聖書ナビには、この「実」には、魂の勝利という意味だけでなく、祈りが答えられることや、喜び、信徒の間の愛という意味もあると書かれています。要するに、実とは、神様の栄光をあらわすことです。

ここで、「とどまる」と言う事について考えてみましょう。弟子たちは、イスカリオテのユダを除いて、イエス様が神の御子であり、救い主であることを信じ、従ってきた人たちです。その弟子たちにとって、イエス様に「とどまる」とはどういうことなのでしょうか。

私は、この箇所を読んだとき、「とどまる」と言うのは、福音を信じ続けること、みことばに聞き従うことだと思いました。しかし丁寧に読んでいくと、もう一つ意味があることがわかります。それは「互いに愛し合う」と言うことです。

ではイエス様に「とどまる」ためには、具体的にどうしたらよいのでしょうか。



3 福音を信じ続けることについて


第一に、福音を信じ続けるために、毎日聖書を読むこと、祈ることです。ここにいらっしゃる皆さんは、毎日聖書を読み、お祈りしていることでしょう。まだ習慣になっていない方は、「みことばの光」を用いると良いと思います。

そしてそれにもまして大切なことは礼拝に出席することです。私は、聖書神学校の公開講座で都上りの詩篇を学びましたが、そこで信徒にとって教会の礼拝が非常に大切であることがわかりました。礼拝は教会形成の上でも大切です。

昨年4月から、新宮長老と菊池姉、私の3人で説教を担当していますが、みな、当番の週は準備にかなりの時間をかけ、祈りながら準備をしています。そして皆さんも、私たちのために祈り、またお花の準備や、聖餐式の準備、受付、司会等の奉仕をしてくださっています。私は、神様は、このように私たちが礼拝を大切にしてきたことを喜んでくださっていると確信しています。このことを続けていけば、今年神様は教会と信徒を豊かに祝福してくださると信じています。



4 互いに愛し合う


もう一つは「互いに愛し合う」と言うことです。10節を見て下さい。「わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなた方もわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。」とあります。互いに愛することは、イエス様の愛にとどまることだと言うのです。13章17節では、互いに足を洗うとき祝福される、とあります。イエス様にとどまって愛するのであり、イエス様抜きではありません。イエス様抜きでは形式的な愛になってしまいます。

イエス様は、私たちのために、私たちを罪と死と悪魔の支配から救い出すためにご自分の命を捨てられました。「人が自分の友のために命を捨てること、これよりも大きな愛は誰も持っていません。」(14節)イエス様がご自身の血を持って贖ってくださったその兄弟姉妹を愛しなさい、「愛を持って互いに仕えなさい」と言われるのです。(ガラテヤ5:13)

「互いに愛し合いなさい」と言うと、何か特別なことをしなければならないと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、第一コリント13章に特別なことは書いてありません。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」(13:4〜7)

         私たちの教会では、主と兄弟姉妹のために自分の時間と労力を捧げて奉仕して下さっている方がたくさんいます。またLINEでどなたかが何かを報告するとすぐに誰かがコメントを返して下さいます。これも愛を持って互いに仕え合うことですね。

兄弟姉妹のために祈ることもそうです。同刻祈祷で、信徒の方の名前を挙げて祈る時、それぞれの方が抱えている問題のことも祈ります。経済的な不安を抱えている兄弟。健康に不安を抱えている兄姉。体調が悪くてもしんどさを抱えながら走り続けている兄姉。職場での人間関係に悩み苦しんでいる姉妹。子どもの健康のことで心配しているご家族。子どもが主イエス様を信じるようになってほしいと祈っている兄弟姉妹。家族の介護に苦労している兄姉。そして教会のことを心から心配し祈ってくださる兄姉。兄弟姉妹のために祈るとき、神様は喜んで下さいます。

教会とは、神が選び出された民のことです。 神様がこの交わりを祝福して下さるように求めていきましょう。イエス様にとどまる時、私たちは実を結びます。



5 実を結ばないものにならない


では、私たちが実を結ばない時はどうなるのでしょう。2節で「わたしの枝で実を結ばないものは、全て、父がそれを取り除き」、6節で「わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。」とあります。イエス様は同じことを群衆に語っていますが、ここでは同じことを弟子たちに語っています。悔い改めて良い実を結ばなければ、みな切り倒されて火に投げ込まれるのです。(マタイ7: 19、ルカ13:7、ルカ3: 9)それだけ神様とイエス様は、私たちが実を結ぶことを望んでおられることがわかりますね。

この一年イエス様の愛にとどまりましょう。イエス様も私たちにとどまると言われます。新しい年が、皆さん一人一人にとり豊かな実を結ぶ年となりますようにお祈りいたします。




<ヨハネの福音書 15章1〜11節>


1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。




説教者:加藤 正伸 長老