2022年11月27日



「救い主誕生の預言」(アドベント第1週)

旧約聖書:イザヤ書9章1節〜7節




1、初めに


今日からアドベント(待降節)に入ります。毎年、クリスマス前の4週間をなんとなくクリスマスの準備期間のように過ごしていますが、アドベントとは何なのでしょう。

アドベント(Adventus)はラテン語で「表れ、来臨」を意味します。キリストの初臨と再臨の両方に使われています。西方教会では教皇グレゴリウス1世(590〜604年在位)のときの記録が一番古いものです。最初はバプテスマに備える期間として行われていましたが、教会歴の聖アンデレの日(11月30日)に最も近い日曜日がアドベント主日とされました。したがって、アドベント第1主日としては今年のように11月27日が最も早い日程になります。

アドベントの過ごし方は、第一に主イエスの降臨を思い起こし、クリスマスに備えること、第二に主イエスの再臨を待ちながら心を整えることです。教会やご家庭によっては、アドベント・リースに毎週の日曜日にロウソクに火をともし、「世の光」であるキリストの来臨を待ち望むことを表したりします。

本日はイザヤ書を中心に、北イスラエル王国が滅亡し、南ユダ王国も苦難の中にあったとき、神がイザヤを通して救い主を与えると告げられた素晴らしい預言を見ていくことにしましょう。



2、イザヤとイザヤ書について


(1)イザヤが登場した時代背景

ソロモン王は偉大な王国を築き上げましたが、ソロモン王の死亡した後は息子レハブアムの南ユダ王国とソロモンの官吏だったヤロブアムを王とする北イスラエルに分裂してしまいました。南ユダ王国はユダの王ヨタムの死後、アハズが即位したBC735から首都エルサレムが外国からの圧力に揺り動かされ始めます。当時の国外の二大勢力は、アッシリヤ(今日のイラク北部)とエジプトで、アッシリヤが東から西へと破竹の勢いで勢力を伸ばし、かつての大国エジプトが、西へのアッシリヤの侵略を食い止め切れず、後退しつつあるという国際的緊張関係にありました。二大国に挟まれたアラム(シリヤ)、イスラエル、ユダは、政治的にアッシリヤの影響下にあり、政治的自由を求めたアラム、イスラエル両国が、反アッシリヤ同盟を結んだのはもっともな成り行きでした。ところが、同盟を強固にするためにユダの加盟が強要され、事態はイスラエルとシリヤによるエルサレム包囲という軍事的威嚇行為にまで深刻化していたのでした。BC735年ごろのことです。

「ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時のこと、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムに上って来てこれを攻めたが、戦いに勝てなかった。」(イザヤ書7章1節)

その後、アラム(首都はダマスコ)はBC732年に、北イスラエル(首都はサマリヤ)はBC722年にアッシリヤによって陥落されてしまいます。

以上のような国が亡びるかどうかという極めて厳しい状況の中でイザヤは預言者として神から召命を受けたのでした。


(2)預言者イザヤについて

イザヤという名前は「ヤハウェ(主)の救い」という意味を持っています。イザヤ書は1章1節で「アモツの子イザヤの幻。」という言葉で始まっています。アモツは伝承によればユダの王アマツヤの兄弟だったと言われています。イザヤは王家に近い人物だったようです。王に直接進言することが許されていた人でした。6章1節に「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。」とあり、ウジヤ王が死んだ頃に預言者としての召命を受けました。年齢は20歳前後だったと思われます。7章3節、8章3節を読むと、イザヤは女預言者と結婚し、二人の男児をもうけたようです。

そののち、私は女預言者に近づいた。彼女はみごもった。そして男の子を産んだ。すると、主は私に仰せられた。「その名を、『マヘル・シャラル・ハシュ・バズ』と呼べ。」(8:3)

「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」は「分捕物はすばやく取り去られる」という意味です。もう一人の男の子の名は「シェアル・ヤシュブ」で「残りの者は帰って来る」という意味です。

イザヤはユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に預言活動を行いました。

アモツの子イザヤの幻。これは彼が、ユダとエルサレムについて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである。(1:1)

ヒゼキヤの後継者になったヒゼキヤの子であるマナセはユダの王の中でも一番長い55年の治世でしたが、その特徴は異教のバアル祭壇とアシェラ像の造営、人身犠牲、まじない、霊媒、口寄せなど父王のヒゼキヤが行った宗教改革とは真逆の偶像礼拝、悪政を敷きました。一説によるとイザヤはこの悪王マナセによって鋸で引かれ殉教したと言われています。

参考:ヘブル11:37

また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、…


(3)イザヤ書について

イザヤ書は、ユダ(およびエルサレム)に対する審判の宣告、次に、諸外国に対する審判の宣告、そして最後の部分で、メシヤ来臨の預言による終末的希望を預言した書物です。

面白いことに、前半1章から39章までがバビロン捕囚前の南ユダ王国に対しての「裁きと警告」の預言。後半40章から66章までがバビロン捕囚となる将来の人々に向けて語られた「希望と回復」の預言となっており、旧約聖書39巻、新約聖書27巻の構成と似ているところがあります。イザヤ書のことを小聖書という人もいます。


1.ユダおよびエルサレムに関する審判と預言 1:1〜12:6

(1)叱責と約束の4説教(1:1〜5:30)

(2)イザヤの召命(6:1〜13)

(3)インマヌエルの4説教(7:1〜12:6)


2.諸外国に対する審判と預言 13:1〜23:18


3.イスラエルの民に対する審判と救いの終末的預言 24:1〜35:10

(1)一般的な審判と約束(その1、4説教) (24:1〜27:13)

(2)イスラエルの民の不信者に対する災禍の宣告の5説教 (28:1〜33:24)

(3)一般的な審判と約束(その2、2説教) (34:1〜35:10)


4.歴史的記録 36:1〜39:8


5.神の救いに関する預言 40:1〜66:24

(1)平和の目的に関して (40:1〜48:22)

(2)平和の君について (49:1〜57:21)

(3)平和のプログラムについて (58:1〜66:24)



3、イザヤ書によるイエス様に関する預言


イザヤ書は詩篇と同じように主イエスに関する預言で満ちています。参考までに預言の内容とイザヤ書の聖書箇所を記しておきます。

ナザレ人として成長する…7:15、9:1〜2、11:1、53:2

受肉(人としての御降誕)…9:6、7:14

ダビデの血筋の王、主のしもべとして油注ぎを受ける…11:2

奇蹟による癒し等…35:5〜6

神性、永遠性、全知全能、偏在などの神の性質…40:12〜18、51:13

神が選ばれた喜びの器…42:1

謙遜な性質…42:2

真理による宣教…42:3

従順に従われる…50:5

苦しみ…50:6、52:14

霊による子孫の約束…52:10

昇天…52:13

高められるしもべ…52:13〜15

イスラエルに拒



絶される…53:1〜3

辱められ、打たれ、傷つけられる…53:4〜6

身代わりの死…53:8

埋葬…53:9

よみがえり…53:10

大祭司としての働き…53:12

未来の栄光…59:20、63:1〜6、66:15〜19

メシアとしての召命…61:1〜2

再臨…61:2〜4



4、インマヌエル預言(7章1節〜15節)


まず、7章のインマヌエル預言を見ることにしましょう。ユダ王国はアラムと北イスラエル王国に攻撃されます。アラムが北イスラエルに留まっている状況を見て、アハズ王は震えあがります。その時、神はイザヤにアハズ王に会って主の言葉を伝えよと命じました。

ところが、「エフライムにアラムがとどまった」という報告がダビデの家に告げられた。すると、王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。そこで主はイザヤに仰せられた。「あなたとあなたの子シェアル・ヤシュブとは出かけて行って、布さらしの野への大路のそばにある上の池の水道の端でアハズに会い、そこで彼に言え。(7:2〜4)

細かいやり取りは省きますが、その中でイザヤが預言した言葉がインマヌエル預言です。

それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。(7:14、15)

主はアハズ王にしるしを求めてみなさい。見せてあげようと不信仰なアハズ王に信じる者になりなさいと招かれたのですが、アハズ王は「信じるものか」という態度で拒みました。アハズは拒みましたが、イザヤはダビデの家にしるしを与えると言い、14、15節の御言葉(インマヌエル預言)を告げたのでした。

アハズのように不信仰な悪王にさえもしるしを見せて主に立ち返るように促される神は処女懐胎を信じられず、神から遠く離れている私たちをも神様の方から共にいてくださるインマヌエルである方であることを私たちに告げています。



5、メシア預言(9章1節〜7節)


北イスラエルはBC722年に滅ぼされてしまい、ゼブルンの地とナフタリの地は異邦人が数多く住むところとなり異邦人のガリラヤと呼ばれるようになってしまいました。

しかし、そこは光栄を受けると預言されています。

そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:13〜16)

イザヤの預言から750年ほど経過してイエス様が公生涯をこのガリラヤ湖の周りの町々で始められるのです。

9章2節から5節は虐げられてきたユダ王国、ダビデの家の解放、癒し、回復が約束されています。そして戦いの武具が必要無くなる平和な時代が実現されるという預言です。

そしてメシア預言と言われる6、7節です。

神が人となられるときには、一人のみどりごとして私たちの中に来られるのです。その救い主の名前は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるというのです。名前はその人自身を現わすものですから、みどりごの性質として4つの性質が表現されています。「不思議な助言者」は正しい助言であらゆる問題を解決してくれる全知の神です。「力ある神」は言葉通り全能の神でしょう。「永遠の父」は時間を超越した不変・偏在の神を表しています。「平和の君」は神と人との仲介者を表しています。何れも真の神の御性質に違いありません。このような名前を与えられる人はイエス様しかありえません。

イザヤはBC700年代のユダ王国の危機の時代に700年以上先の救い主の誕生を預言し、人々に希望を与えました。現代に生きる私たちはイザヤの預言したキリストの誕生を知り、その救いの恵みの中に生かされていることを喜びたいと思います。同時にイザヤが700年後を見たように、私たちはイエス様の再臨のときを待ち望みたいと思います。

アドベントは主の御降誕(初臨)を意味するだけではなく、再臨をも意味するものだからです。




イザヤ書 9章1〜7節

1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。

2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。

3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。

4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。

5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。

6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。




説教者:新宮 昇 長老