2022年9月4日



聖書の語る「神の国」

新約聖書 :ヨハネの福音書3章1節〜21節




初めに

今日は、ニコデモという、当時のユダヤの指導者の1人がイエス様を訪ねたときのことから学びたいと思います。

4つに分けて、順にお話ししていきます。1節〜3節、3節〜10節、11節〜15節、16節〜21節です。それぞれ、ニコデモの訪問とその目的、まことの神の国と聖霊の働きについて、イエス様による救い、福音の真理です。



1 ニコデモの訪問とその目的(1節〜3節)


先ず、ニコデモはどのような人だったかというと、パリサイ人でサンヘドリン(ユダヤ人議会)の議員、そしてイスラエルの名だたる教師でした。

ここで私たちは、「パリサイ人」と言う言葉に注意しなければなりません。 パリサイ人とはイスラエルの宗教上の指導者です。彼らは、儀式上のきよさを強調し、自分たちの設けた基準で生活するように民衆に教えていました。

そのパリサイ人はイエス様を敵視します。ヨハネの福音書7章45〜49節にこのような箇所があります。「議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」つまり、群衆は律法を知らないから、学問がないから、イエスを救主だと信じて騒いでいると言うのです。ニコデモは、このようなグループの1人でした。

また彼は、「神の国」を待ち望んでいました。彼の考えていた「神の国」というのは、メシヤのもとでユダヤ国家が世界を統治する、いわば政治的な王国です。これにはユダヤの歴史が大きく関わっています。BC336年ペルシャ王キュロスがユダヤ人のイスラエル帰還を命令します。しかしそこは自分の国ではなく、ペルシャが支配していました。BC 331年からBC167年まではギリシャによる支配、マカベヤ時代と言う独立の1世紀を経て、BC63年からはローマの支配を受けていたのです。このような歴史的背景があって、当時の多くの人たちがメシヤによる救いを待ち望んでいました。バプテスマのヨハネも、12使徒たちもこの考えを持っていました。

さて、そのニコデモが、夜、イエス様を訪ねてきます。実は、彼は、イエス様の言動に深い感銘を受けていました。2節「神が共におられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、誰も行うことができません。」



2 まことの神の国と聖霊の働きについて


3節から10節は、まことの神の国と聖霊の働きについてイエス様が説明している箇所です。イエス様は、ニコデモが「神の国」について聞くために訪ねてきたことご存知でした。その彼に、イエス様は言われます。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

しかし、ニコデモはイエス様が言われたことの意味が理解できなかったので、「老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。」と尋ねます。そこで、イエス様は「新しく生まれる」ということについてニコデモに説明します。

「水と御霊によって生まれなければならない」(5節)というのは、「みことばによる聖めと、聖霊のお働きによるバプテスマのこと」です。そして、このことは、血筋でも人の欲求や意欲でもない、ただ神によって実現することなのです。(6節) 8節にある「風」はギリシャ語で「プネウマ」という意味ですが、これは「霊」と「風」の両方を意味します。ですから「霊はその思いのままに吹き、(以下略)」と読むこともできます。聖霊の働きは、吹く風に似て不思議です。私たちが救われたのも、不思議ではありますが、事実なのです。

イエス様のことばを聞いて、ニコデモが「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」(9節)と言うと、イエス様は、「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。」(10節)と言われました。

旧約聖書には、神様が、人々のうちに新しい心を授けてくださるという約束が書かれています。エゼキエル書36章25節から27節がそれです。「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」イエス様はニコデモに、聖書を説明したのです。



3 イエス様による救い


11節から15節で、イエス様は、ご自分を信じる者は永遠のいのちを持つということを説明します。

「まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。」(11節) これは、自分たち(イエス様と弟子たち)は、神様の力と御霊の働きを実際に見て知っているので、確信を持って証ししているが、あなた方はそれを信じない、と言うことです。そして、地上のこと、つまり神様の力と御霊の働きが信じられないなら、天上のことを話したとして、どうして信じられるのか(12節)と言われます。

そして13節と14節で、イエス様は、ご自分が天に上げられることを、かつてイスラエルの民が荒野を旅していたときの出来事(民数記11章9節)を引用して説明します。

イスラエルの民は、指導者モーセに背いて罪を犯し、燃える蛇に噛まれて苦しみました。その時モーセは、神の哀れみと指示によって1つの青銅の蛇を作り、すべての人に見えるように、それを旗竿の上につけました。その青銅の蛇を仰ぎ見た者たちは、みな、死という刑罰を免れて生きることができました。この青銅の蛇のように、ご自分は上げられなければならない、と言うのです。

15節で、ご自分が上げられるのは、ご自分を信じる者が永遠のいのちを持つためだと話されます。

ニコデモは、真面目な人で、ユダヤ人全体が幸せになることを求めていました。そして神の国のことを知りたいとイエス様を訪問します。そのニコデモに、イエス様は、聖霊によって新しく生まれなければならないことやご自分を信じる者は永遠の命を持つことを話しました。ニコデモは、この後、イエス様に失望して帰ったのかもしれません。



4 福音の真理


15節は、明らかに16節につながります。そして16節から21節は、この福音書を書いたヨハネが、福音の真理について記した箇所です。

16節、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」小助川次雄先生は、この聖句を「小聖書」とも言われる重要な聖句だと書いています。「福音の真理の素晴らしい要約」、「キリスト教の本質を完全に示している」と記した注解書もありました。

17節「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」人となってこられた神の御子であるイエス様の生と死の目的は、ただ1つ、罪人である人間を救うためです。ルカの福音書19章10節には、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と書かれています。イエス様は失われた私を救うため、あなたを救うために来られました。そしてイエス様は、十字架につけられて死なれ、私の罪、あなたの罪を処分してくださったのです。

18節後半から20節は、さばきについてです。「自分の行いが悪いために、人々は光よりも闇を愛した。」「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。」私たちは、悪いことをしているときには、それを明るみに出せません。愚痴や陰口もそうです。

21節、「しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」「真理を行う者」とは、「イエス様を信じて歩む者」光の中を歩む者(1ヨハネ1: 6)のことです。自分の力で罪を犯さないように努力する人のことではありません。罪人を救ってくださるイエス様を信じることが、真理を行うことであり、光の中を歩むことなのです。

ヨハネの福音書 12章46節「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」私たちも、日々、光の中を歩ませて頂きましょう。



5 おわりに


ニコデモは、訪問から2年後、サンヘドリンで、イエス様の弁護をします(7: 45〜51)。祭司長、パリサイ人たちが、役人たちに、イエス様を裁くために連れてくるように命令しましたが、役人たちはできませんでした。その時ニコデモがパリサイ人たちに言いました。「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」

また、イエス様が十字架につけられて死なれたとき、アリマタヤのヨセフが埋葬の準備をしますが、ニコデモも、「没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来」ます。(19: 39)これらの記事から、イエス様のみことばは、ニコデモを、光の中を歩む者に変えたと考えられています。


今皆さんの中に、失望し、落胆している方はいらっしゃるでしょうか。私たちも、願っていることが実現しないとがっかりし、失望します。特に時間をかけてきたことほどその失望は大きいものです。しかしそういう時こそイエス様に聞くことが大切です。本当のことが私たちに見えていないのかもしれません。神様の視点から見たときには違うのかもしれません。神様に求めましょう。神様ご自身が心配されているのです。神様が私たちの問題を解決してくださいます。






説教者:加藤 正伸 長老