2022年7月3日



「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」

ヨハネの福音書 1章19〜34節



はじめに

前回は、イエス様が天地創造の前からおられる神様であること、また人の光であること、この方が人となってこの世に来られたことを話しました。今日は、このイエス様を世の人に証ししたバプテスマのヨハネについてお話しします。



1 バプテスマのヨハネの証言

当時ユダヤはローマ帝国の属国でありましたが、人びとの心も荒野のような状態でした。そのような中でヨハネは神の御言葉を正しく語り、民衆に歓迎されます。奇跡は行いませんでしたが、そのメッセージに感動した人びとが国中からバプテスマを受けに来ます。人々はキリストを待ち望んでおり(ルカ3:5)、もしかするとこの人がキリストではないかと考えていました。

しかし、このことに不安を感じたユダヤ人、特にパリサイ人は、ヨハネが誰なのかを知るため、ヨハネのところに祭司とレビ人を遣わします。彼らはまず「あなたはどなたですか」と質問します。ヨハネは「私はキリストではありません」とはっきり答えます。

次に、「ではあなたは誰なのか、エリアなのか、それともあの預言者なのか」と尋ねます。エリアというのはマラキ書に出てくる預言者の名前です。「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に預言者エリアをあなた方に遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。」(マラキ書4:5)ヨハネはそうではないといいます。「あの預言者」とは申命記18章15、18節に記されていて、イエス様のことを指しているようです。

またユダヤ人は「エリアではないなら何なのか」と尋ねます。ヨハネは、自分は「預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよと荒野で叫ぶ者の声』だ」と答えます。「主の道をまっすぐにせよ」とは「主が来られるから心を備えよ」と言う意味です。

さらに彼らは、「キリストでもエリヤでもないなら、なぜあなたはユダヤ人にバプテスマを授けるのか」尋ねます。バプテスマは本来異教徒がユダヤ教に改宗するときに行われるのですが、なぜそれをユダヤ教徒に行うのかというのです。バプテスマとは「沈める、浸す」と言う意味です。ヨハネは、「自分は水でバプテスマを授けているが、自分よりも勝った方が自分の後に来られる、私は、その方の履物の紐を解く値打ちもない、奴隷ほどの価値もない」と答えます。


さてその翌日、ヨハネは自分の方にイエス様が来られるのを見ます。この時ヨハネは、民衆に「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」(29節)と証しします。これは、「神様は世(私たち罪びと)を愛されたので、私たちの罪を取り除くために犠牲の子羊を備えられた」という意味です。イザヤ書53章には「屠り場に引かれて行く羊」のことが書かれています。

ヨハネは、この方をイスラエルに明らかにするために自分は水でバプテスマを授けていると言い、「この人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者」と宣言します。



2  バプテスマのヨハネの生涯

ここで、ヨハネの生涯について、福音書に記されていることを簡単に見たいと思います。

ルカ1章に、ヨハネは祭司のザカリヤとエリサベツとの間の子であることが記されています。二人は 山地にあるユダの町に住んでいました。また二人は既に歳をとっており子供がいませんでした。

ある日ザカリヤが祭司の務めをしていると、主の使いガブリエルが彼に現れて、妻のエリサベツが男の子を産むことを告げました。またその名前をヨハネとつけるように命じました。その6ヶ月後、御使ガブリエルは、今度はガリラヤのナザレに住むマリアに現れ、マリアが男の子を産むことを告げます。それがイエス様です。

さてヨハネが生まれた時、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言します。「幼児よ、あなたこそ、いと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の許しによる救いの知識を与えるためである。」(ルカ1:76、77) ヨハネはこの使命を果たすために生まれたのでした。 その後ヨハネは成長し、30歳の頃荒野で教えを宣べ始めます。


教えを宣べ始めた頃のヨハネの様子はかなり変わっていました。「ラクダの毛の衣を着て、腰に皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べていた。」(マタイ3:4、マルコ1: 6)

彼はイスラエルの民に「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と告げます。すると、「エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から」大勢の人々がヨハネのもとに、バプテスマを受けにやってきます。ヨハネは、ヨルダン川で、自分の罪を告白した人びとに「罪の許しに導く悔い改めのバプテスマ」を授けます。パリサイ人から遣わされた祭司やレビ人をヨハネのところに来たのはその頃です。

しかし、まもなくしてヨハネは領主ヘロデによって投獄されます。ヨハネが、ヘロデに「兄弟の妻を自分のものにするのは律法にかなっていない」と言い続けたから(マルコ6: 18) です。これを恨んだヘロデの妻へロディアは、投獄だけで済まず、殺そうと考えます。そしてヘロデの誕生日に開かれた祝宴で、自分の娘が招かれた人々の前で踊りを踊り、ヘロデから褒美を求めるように言われたのを利用して、ヨハネを殺害してしまいます。(マルコ6:17〜29)



3 ヨハネが語ったこと

ところで、ヨハネが語った「罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ」とはどのようなことでしょう。

マタイ3章にはこう記されています。「パリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。『まむしのすえたち。だれが迫りくる御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。…良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」これは、悔い改めてないなら主が来られるときにさばかれて火で焼かれる、ということです。(マタイ3:7〜10、ルカ3: 7〜9)

「ではどうすれば良いのでしょう」と尋ねる群衆にヨハネは答えます。「下着を2枚持っている人は持ってない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」。箴言3章 27節に、「あなたの手に善を行う力があるとき、求める者に、それを拒むな。」とあります。つまりこれは十戒の第五戒「殺してはならない」の教えで、ここでは消極的罪を教えているのです。

また取税人には「決められた以上は何も取り立ててはなりません」。これは、十戒の第九戒、「隣人の家を欲しがるな」です。兵士には「誰からも金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」これは第七戒「盗んではならない」の教えです。

しかしこれは単に「〜するな、〜せよ」いうことではありません。モーセの十戒の根本にあるのは神の愛です。ヨハネは神様の心を伝えたのです。そしてヨハネはイエス様を紹介しました。「私のあとから来られる方は、…あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」

パウロは言います。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けた。」(使徒の働き19: 4)

イエス様は、このヨハネを「預言者よりもすぐれた者」(ルカ7: 26)、「女から生まれた者の中で、ヨハネよりも偉大なものは誰もいない」。(ルカ7: 28) また、「ヨハネの教えを聞いた民はみな、主税人でさえ彼からパプスマを受けて、神が正しいことを認めた。」と言われました。(ルカ7: 29)



4 イエス様を救い主として信じること

しかし世の人は、ヨハネの証ししたイエス様を救い主として受け入れませんでした。ピラトの裁判の時、民衆はイエス様を「十字架につけろ」と叫びます。(マタイ27: 22・23、 マルコ15: 13、14、ルカ23: 18) またイエス様が十字架につけられたとき、通りすがりの人も、「頭を振りながら罵って言った。おお、神殿を壊して3日で建てる人よ。十字架から降りてきて、自分を救ってみろ」(マルコ15: 29)。まさに「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネ1: 11)のです。

しかし「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えにな」りました。(ヨハネ1: 12) 弟子たちはイエス様を救い主として信じます。イエス様が復活された後、聖霊のバプテスマを与えられます。

ヨハネが言うように、最後の審判の時にイエス様はすべての人を裁かれます。神様の怒りの下にある人は火の中に投げ込まれます。しかし信じる者は、神の怒りから救われるのです。イエス様が十字架で、神様の怒りをその身に負ってくださったからです。イエス様を信じるということは、神様の怒りを受けないということです。信じるということは本当に素晴らしいことなのです。



5「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネの福音書1章29節)

今日皆さんにお伝えたいのは、「世の罪を取り除く神の小羊」、この方を見上げることです。

あなたを愛し、その罪を取り除くために犠牲となって下さったイエス様を、どんな時にも見上げるのです。必ず神様はあなたの願いや祈りに応えてくださいます。イエス様は言われました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11: 28)

皆さんの中に疲れている方、倒れそうな方はいませんか。主を見上げましょう。神様が力を与えてくださいます。「主を待ち望むものは新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」(イザヤ40: 31)

信徒の方で罪に悩んでいる方はいらっしゃいますか。私たちは救われて聖霊を与えられています。しかしまだ古い人がいるので罪を犯します。新しい人として生きるために「神の小羊」を仰ぎましょう。神は聖めて下さいます。今週もこのイエス様を見上げて歩んでいきましょう。




<ヨハネの福音書 1章19〜34節>

19 ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。

20 彼は告白して否まず、「私はキリストではありません」と言明した。

21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」

22 そこで、彼らは言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」

23 彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」

24 彼らは、パリサイ人の中から遣わされたのであった。

25 彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」

26 ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。

27 その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」

28 この事があったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。

29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

30 私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです。

31 私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」

32 またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。

33 私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『御霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』

34 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」"



説教者:加藤 正伸 長老