2022年6月12日



「エドムの滅びを預言したオバデヤ」

旧約聖書:オバデヤ書 1章1〜14節



1 オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう仰せられる。私たちは主から知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」

2 見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、ひどくさげすまれる者とする。

3 あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか」と心のうちに言っている。

4 あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。−−主の御告げ−−

5  盗人があなたのところに来れば、夜、荒らす者が来れば、あなたは荒らされ、彼らは気のすむまで盗まないだろうか。ぶどうを収穫する者があなたのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。

6 ああ、エサウは捜し出され、その宝は見つけ出される。

7 あなたの同盟者がみな、あなたを欺き、あなたを国境まで送り返し、あなたの親しい友があなたを征服し、あなたのパンを食べていた者が、あなたの足の下にわなをしかける。それでも彼はそれを悟らない。

8 その日には、−−主の御告げ−−わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。

9 テマンよ。あなたの勇士たちはおびえる。虐殺によって、エサウの山から、ひとり残らず絶やされよう。

10 あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。

11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。

12 あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな。

13 彼らのわざわいの日に、あなたは、わたしの民の門に、入るな。そのわざわいの日に、あなたは、その困難をながめているな。そのわざわいの日に、彼らの財宝に手を伸ばすな。

14 そののがれる者を断つために、別れ道に立ちふさがるな。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡すな。






T.オバデヤ書の背景と預言の内容


1.オバデヤとは誰か

まず、オバデヤ書の背景を説明したいと思います。

オバデヤ書の始まりは「オバデヤの幻」とあるだけで、オバデヤがどこの誰なのかを示す記述がありません。「オバデヤ」というのは「主のしもべ」という意味の名前で、当時のイスラエルでは非常にポピュラーな名前でした。聖書には延べで十数人のオバデヤが登場し、オバデヤ書のオバデヤがそのうちの誰かなのか、全く別の新しいオバデヤなのか、オバデヤ書の中にはオバデヤがどこの誰なのかを知る手がかりが全くありません。それは、オバデヤが誰なのかは預言の内容に全く影響しないと言うことだと思われます。


2.オバデヤ書の時代背景

この預言がいつの時代のものなのかもはっきりわかっていません。預言の内容からいくつか候補はあります。まず、オバデヤ書は南ユダ王国で預言されたものと思われます。年代的に有力なのは紀元前850年頃のヨラム王の時代か、紀元前586年頃のエルサレム崩壊前後の時代です。今回は、紀元前850年頃のヨラム王の治世の方の説を採りたいと思います。


3.ヨラム王の時代とは

ソロモン王(ダビデ王の息子でダビデ王の次の王さま)の後、イスラエルの王国が南ユダ王国と北イスラエル王国に分かれました。ヨラム王は南ユダ王国の五代目の王さまです。

このヨラム王は、悪い王さまでした。ヨラム王は32歳で王となり、エルサレムで8年間王さまでした。その間、どのくらい悪い王さまだったのかは預言者エリヤの言葉を読んでみてください(歴代誌U21:12〜15)。ヨラム王は自分の家族を皆殺しにした上、南ユダ王国の国民に偶像崇拝をさせ、神さまの怒りに触れて若くして病気で死にました。さらに、エルサレムの人々にはだいぶ嫌われていたようで、ダビデの町には葬って貰えましたが、王たちの墓とは別の所に葬られました。

オバデヤの預言は、そんな時代にされた預言です。


4.誰への預言か

さて、では、オバデヤ書の預言は誰に対する預言でしょうか?ヨラム王がとても悪い王なのでヨラム王に対する預言でしょうか?(ヨラム王への預言であるなら、時代の特定はもっと容易だったと思います)。オバデヤの預言はエドム人に対しての預言です。


5.エドム人とは誰か?

エドム人とはエサウの子孫です。エサウとはアブラハムの孫で、ヤコブの双子の兄弟です。エドム人は南ユダ王国の南側、死海とアカバ湾の間の地に住んでいました。エドム人はダビデの時代から長らく南ユダ王国の統治下にありましたが、ヨラム王の時代に反旗を翻して南ユダ王国から独立しました。

オバデヤ書はそんなエドム人に対するさばきの預言です。


6.預言の内容

@エドムの滅亡の預言
まず、2節から9節でエドムの滅亡が預言されています。2節から4節を読むと、エドムがいかに高慢であったかが描かれています。エドムは経済的な繁栄と攻められにくい立地によりおごり高ぶっていました。

しかし、神さまはエドムの高慢の原因となっているものをひとつひとつ破壊されると宣言しています。

Aエドム滅亡の理由
10節から14節には神さまがなぜエドムを滅ぼすことにされたのかその理由が書かれています。

エドム人が滅ぼされる元々の原因はヤコブとエサウの反目です。

もちろん、それだけが理由であれば、エドム人の悔い改めによって滅亡は回避されたかもしれません。しかし、それだけが理由ではなく、エドムは北イスラエルや南ユダが近隣の大国から攻められているときにそれを助けることをせずに傍観し、エルサレム崩壊時にはエルサレムに攻め入る側に参加し、エルサレムを略奪しました。

このことから私たちは、見て見ぬ振りをすることも罪になると言うことを教えられます。マタイの福音書25章31節から46節でイエスさまも同じようなことを人々に教えられていますので、読んでみてください。

エドムが滅亡するとき、エドムが誇っていた富も岩の上の堅固な都も戦力も何も役に立ちませんでした。富や権力は私たちの魂を救うことはできません。私たちを救うことができるのは神さまへの信仰だけです。

B主の日
オバデヤ預言は主の日についての預言で締めくくられています。

15節からの内容は全世界に向けた内容になっています。

全世界のさばきの日である主の日は、主に逆らう者には恐るべき日ですが、主に信頼し服従する者には救出と勝利の日です。

21節で、罪へのさばきと全世界の主権が主に帰すること、王なる神さまの主権と支配が宣言されて預言が締めくくられています。



U.私たちへのメッセージ

最後に、オバデヤ書から読み取ることのできる現代の私たちへのメッセージを考えていきたいと思います。


1.罪は裁かれる

ひとつめは、エドムへの滅びの預言から、罪は裁かれると言うことが分かります。神さまは正しい方なので、罪をそのままにされることはありません。では、私たちは罪を犯したときはどうすれば良いでしょうか?


2.悔い改めには救いがある

それがふたつめになりますが、罪を犯したときは、悔い改める必要があります。

エドムが、先祖であるエサウの罪のために裁かれるなら、エサウの双子の弟であったヤコブも大分罪深いです。ヤコブは父と兄を騙して長子が受けるはずの祝福を奪い取っています。では、エサウとヤコブは何が違ったのでしょうか?

エサウは、エドムになり滅ぼし尽くされるまで、結局、悔い改めて主に立ち返ることがありませんでした。しかし、ヤコブは悔い改めて主に立ち返り、イスラエルとされました。イスラエルが一度悔い改めて主に立ち返ったら、もう罪を犯さなくなったわけではありません。国になった後も、間違えては悔い改めて主に立ち返りの繰り返しでした。しかし、神さまはイスラエルを選び、彼らを根絶やしにされることはなく、今もイスラエルはあります。


悔い改めには救いがあると言うとき、大切なこととして、私たちが悔い改めて赦される、神さまに救われるというのは私たちの行いによることではなく、あくまでも信仰によることであり、神さまの側からの選びによることだということは忘れないで頂きたいと思います。


神さまは正しい方なので罪をそのままにされることはありませんが、また、神さまは愛をもって私たちを取り扱ってくださる方なので、私たちが悔い改めるとき、その罪を赦し救いに導いてくださいます。


3.エドムは肉を、イスラエルは霊を象徴している

みっつめは、エドムは肉を、イスラエルは霊を象徴していることが分かります。

ちょっと、唐突な印象もありますが、今日の招詞の箇所(ローマ6:23)を見てください。エドムは肉を象徴しているので、罪から来る報酬の死を賜っています。しかし、霊を象徴しているイスラエルは、私たちに主キリスト・イエスにある永遠のいのちを教えてくれます。


ただし、私たちは、罪を悔い改めて赦されているし、神さまに選ばれて救われている、だから、もう、どんなことをしてもいいんだと思うなら、それは思い違いです。


ローマ書の次の箇所をお読みください。

ローマ人への手紙 6章6〜14節

6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。

13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。


ローマ人への手紙 12章1〜2節

1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。



私たちはすでに罪の支配から解放されています。そして、救われているからこそ、愛のある行動が求められているし、聖霊さまが与えられている私たちは、すでにそれができるのです。


最後に、ガラテヤ書の次の箇所をお読みください。

ガラテヤ人への手紙 5章16〜25節

16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、

21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。



説教:菊池 由美子 姉