2022年4月17日



「主の十字架と復活が伝えていること」

新約聖書:コリント人への手紙第一 15章3〜11節



1 十字架の死まで


ゲッセマネの祈りの後、イエス様が十字架につけられて葬られるまでは、大きく4つの場面に分けられます。ユダの裏切り、ユダヤ教の宗教裁判、ローマ総督ピラトによる裁判、十字架です。ここでの主役は、祭司長、長老、律法学者、ピラトです。いいえむしろサタンと言って良いかもしれません。


@ユダの裏切り 

ゲッセマネでイエス様が祈っているところに、12弟子の1人、ユダが何百人と言う群衆を連れてやってきます。ユダは前もってその人たちと、誰を捕まえれば良いのかわかるように合図を決めていました。ユダが口づけをする人と言う合図です。ユダはやってくるとイエス様に口づけし、イエス様は群衆に捕らえられます。この時、弟子のうちの1人が剣を抜いて、群衆の一人、大祭司の僕に切りつけますが、抵抗はそこまで。弟子たちは、自分たちも捕まりそうになると、イエス様を見捨てて逃げてしまいます。


Aユダヤ教の宗教裁判

イエスは大祭司のところに連れて行かれ、サンヘドリンの議員たちの前に立たされます。祭司長、長老、律法学者たちはイエス様を死刑にしようと訴える証拠を探しますが、証言が一致しません。夜明け直後の裁判で、大祭司が立ち上がり「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」と尋ねます。イエス様はそれに「私はそれです」と答えます。大祭司は、自分の衣を引き裂き、今の言葉は神を汚す言葉だ、どう考えますか、と周りの議員に尋ねます。すると全員は「死刑にあたる罪だ」と言います。

それから、祭司長たちは、イエス様を死刑にするために、イエス様を縛って総督ピラトの所に連れて行きます。この時、総督ピラトは過越祭の治安のためエルサレムにいました。当時のユダヤはローマの属国です。ユダヤ人はローマから自分たちで死刑を行う権利を剥奪されていたのです。


B国家権力者ピラトによる裁判 

ピラトは、はじめにユダヤ人たちに、あなた方がこの人を引き取り、自分たちの律法に従って裁きなさい、と言います。しかしユダヤ人たちは、イエスは自分を王と言っている、これはカエザルに対する反逆罪だ、つまりローマの敵だと言います。それでピラトはイエスに尋ねます。「あなたはユダヤ人の王ですか」イエスは答えて「その通りです」と答えます。

しかしピラトは、ユダヤ人たちが妬みからイエス様を訴えていて、イエス様は無罪であることがわかっていました。過越の祭りの時には人々の願う囚人を1人だけ赦免するのが慣例だったので、ピラトは、無罪のイエス様を釈放しようとします(ルカの福音書23章)。しかし祭司長たちは、群衆をそそのかして、むしろバラバと言う人殺しの男を釈放してほしいと群衆に言わせます。さらに群衆は、イエス様を十字架につけろと激しく叫びます。ピラトは、群衆の機嫌を取るためバラバを釈放します。

しばらくして、ピラトは、イエス様を群衆の前に連れ出し言います。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出して来ます。あの人に何の罪も見られないと言うことを、あなたがたに知らせるためです。さあ、この人です。」(ヨハネ19: 4、5)ピラトのこの言葉は、正当性があるように見えますが、本当は自己保身です。

イエス様を見た祭司長たちは、激しく叫び、「十字架につけろ」と言います。そしてついにその声が勝ちます。ピラトはイエス様を十字架につけるため、鞭打ってからユダヤ人に引き渡します。

新聖歌99番「馬ぶねの中に」の 4番に「この人を見よ」という言葉が出てきます。これはピラトの「さあ、この人です」という言葉の日本語訳です。「この人を見よ この人にぞ こよなき愛は

 現れたる この人を見よ この人こそ 人となりたる 生ける神なれ」私たちの心に重く深く響きます。


C十字架の死 マルコ15:20〜26

イエス様は、十字架を負い、悲しみの道ヴィア・ドロロサを歩いてドクロの地、ゴルゴダというところに行きます。途中、ユダヤ人たちは、丁度田舎から出てきたクレネ人のシモンと言う人に、無理矢理イエス様の十字架を背負わせます。

ゴルゴタでイエス様は十字架につけられます。両手両足を釘付けにされ、頭の上には罪状が書かれた札が掲げられました。午前9時ごろのことです。イエス様とともに2人の強盗が、それぞれイエスの右と左に十字架につけられます。この2人はローマの法律で裁かれ十字架刑になったのです。しかしイエス様は、ローマ法では無実であるにも関わらず、ユダヤ人たちの妬みとピラトの自己保身のために十字架につけられたのです。

十字架の苦痛は想像絶するものだったでしょう。十字架は高さ3メートル位、足の位置は地上から20センチ足らず、臀部の位置に木片が取り付けられていて、腰掛けられるようになっていたので、両手へ負担は軽くなりますが、かえってそれが死と苦痛を長引かせたそうです。手足の傷から血が流れ出て、悲鳴をあげる程の激痛だったでしょう。

さて12時ごろから3時ごろまで、急にあたりが暗くなります。午後3時、イエスは大声で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(わが神、わが神 、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)と叫び、しばらくしてから大声を上げ、息を引き取ります。


2 イエス様への嘲りと罵り


ここまで、ユダの裏切り、ユダヤ教の宗教裁判、ローマの国家権力による裁き、十字架の死を見てきました。重く暗い話しですが、私にとって特にやるせないのは2度のリンチです。1度目はユダヤ教の夜明け直後の裁判のあとです。サンヘドリンの議員や役人たちから、つばきをかけられ、目隠しをされ、拳で打たれ手のひらで叩かれて、今打ったのは誰かというリンチを受けました(マルコ14:65)。2度目はピラトの裁判でバラバの釈放が決まった後です。ローマ軍の兵士から、紫の衣を着せられ、茨の冠を被らさせられ、ユダヤ人の王様万歳と叫び、葦の棒で頭を叩き、唾をかけ、跪いてわざと拝むというリンチです。(マルコ15:16〜19)。イエス様はこれを黙々と受けられました。

もう一つは通りすがりの人たちと祭司長たちの、十字架のイエス様への罵り、嘲りです。「神殿を打ちこわして3日で建てる人よ。十字架から降りてきて、自分を救ってみろ。」「他人は救ったが自分は救えない。キリスト、イスラエルの王様。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」(マルコ15:29〜32)しかしイエス様は十字架から降りてきませんでした。イザヤ書53章には、この時のイエス様のことが予言されています。


3 封印された墓


イエス様が亡くなられた後、アリマタヤのヨセフと言う人が、勇気を出してピラトのところに行き、イエス様の体の引き取りをお願いします。この人は、「有力な議員であり、自らも神の国を待ち望んでいた人」(マルコ15:43)でした。 彼はニコデモと一緒に、おびただしい香料(没薬とアロエを混ぜたもの約30kg)と新しい亜麻布でイエス様の体を包み、岩を掘って作った墓に納めます。(ヨハネ19:39〜41)

このイエス様の墓については、その翌日、祭司長、パリサイ人たちがピラトのもとに行き、墓に番兵を置くように願い出たことがマタイの福音書に書かれています。イエス様が生前「3日の後に甦る」と言っていたことを思い出したからです。弟子たちが死体を盗んで、甦ったと民衆に言うと問題になるというのです。ですが番兵を置く理由としては奇妙に感じます。パリサイ人が死者の復活を信じていたことがあるにしても。説明のつかない不安を感じていたのかもしれません。墓は封印され、そこに番兵が置かれます。番兵のことは、弟子たちは知りません。そして週の初めの日を迎えます。


4 復活


場面は大きく変わります。主役はイエス様と弟子たちです。

週の初めの日の朝、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、ヨハンナ、サロメは墓に急ぎます。道中、自分たちのために墓の入り口から石を転がしてくれる人が誰かいるだろうか、話しながら。ところが墓に着いてみると石は転がされていました。み使いが天から下って石を転がしたからです。

ルカの福音書によると、マグダラのマリアたちは、急いで男の仲間たちに報告します。(ルカ24: 9、10)それでペテロとヨハネは行って墓が空であるのを見ますが、半信半疑で帰ります。(ヨハネ20:3〜5)墓に残ったマグダラのマリアに、初めて復活の主が現れます。(ヨハネ20: 11、マルコ16:9)聖書では、復活の主が最初に現れたのが、マグダラのマリアであるということを強調しています。

その次は、エルサレムからエマオに向かって歩いていたクレオパともう1人の弟子です。そしてペテロに現れ、弟子たちが集まっていた部屋に現れました。(ヨハネ20: 19?23)その後は、ガリラヤに帰って漁をしていた7人の弟子(ヨハネ21)、ガリラヤの山で使徒たち11人に(マタイ28: 16〜20) 、そして再びエルサレムに戻り、ベタニヤで手を挙げて祝福しながら天に昇られました。(ルカ24: 50、51)  

       

5 十字架の死と復活が私たちに伝えていること


イエス様の十字架の死と復活という、この歴史的事実は私たちに何を伝えているのでしょうか。それは神の愛です。

十字架の死までに登場した祭司長、律法学者、パリサイ人、長老、ピラト。そこに共通して見られるのは、妬み、私利私欲、自己保身。ウクライナを兄弟国と呼びながら、歴史を自分勝手に解釈してその住民たちを虐殺しているロシアの大統領もそうです。しかしイエス様は、彼らも含めて、すべての人のために十字架で亡くなられたのです。

水野源三という詩人に「私がいる」という詩があります。「ナザレのイエスを 十字架にかけよと要求した人 許可した人 執行した人 それらの人の中に 私がいる」(水野源三第一詩集「わが恵み 汝に足れり」)私たちは、イエス様の十字架の死と復活により、罪許されて生きることができるのです。

もう一つ大切なことがあります。イエス様は、私たちに永遠の命を与えて下さったということです。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは死んでも生きるのです。」(ヨハネ11: 25)

 復活のイエス様に会った弟子たちは、その後、約束の聖霊を頂いて福音を力強く伝えていきます。それは今でも変わりません。イエス様は生きておられ、私たちとともにいて下さいます。

「主イエスは私たちの罪ために死に渡されたが、私たちが義と認められるためによみがえられたからです。」ローマ4: 24



説教:加藤 正伸 長老



<コリント人への手紙 第一 15章3〜11節>


3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

7 その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。