2021年3月14日


「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」
創世記 7章1〜24節
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1.「前回」
 アダムの子、セツの子孫は、神と神の言葉を信じ神の言葉を伝えてきましたが、しかし人の罪の性質では神の言葉を常に心に留まらせておくことができませんでした。むしろ目に見えない神の言葉よりも、遠くない隣であった、目に見えて、技術的に政治的に発展するカインの家系の作り上げた社会と文化、その目に見える豊かさや欲求を好きなように満たす人間にさえ、目に慕わしいと惹かれて行き、セツの子孫たちも「好きなように選んで」カインの家系、文化と交わって行きました。そのように神の言葉による真の自由より、人間の自己中心な自由を選んでいった結果として、み言葉がないのですから、霊も留まらないようになり、行いのみならず、何より「神の前」におけるその心において、悪が増大して行ったのでした。そしてもはや神と神の言葉を信じるのはノアとその家族だけでになってしまったのでした。神はその罪を非常に深く悲しまれ、残念に思い、創造を後悔さえします。そして被造物を洪水で一掃することをノアに伝え、ノアに箱舟を作って入るようにと伝えたのでした。そこには人間にとっては何か愛の神と矛盾するような記述ではありましたが、神の前では矛盾し得ないことであり、人間にとって分からないことは分からないままにしておきつつ、はっきりと分かることとして、最後の信仰者となったノアをむしろ悪の増大から守ることによって、信仰の義は決して絶たれることなく継承されていき、そして何より神が約束した「彼女の子孫の『彼』」の約束は、決して放棄されたり忘れられたりしない、アダムとエバの子孫である罪人を通して、その約束の成就への道を、人が守るのではなく、神が矛盾とも思えるその計画で守るのでした。

2.「主はノアに仰せられた」

「主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。」1節

A,「箱舟に入りなさい」
 神が事細かに設計図や材料まで指示して作らせた、その箱舟。船と入っても、いわゆる箱型の運搬船。港でよくある「艀」のようなものの巨大なものということなりますが、それが完成したのです。神はノアとその全家族に、その「箱舟に入」るように言います。このところ、ノアとその家族が、完成したから入るということでもなく、彼らが状況を見て、自分たちの判断で入ったのではないことがわかります。神が、その時を定めており、時いたって、神がその言葉で、入るように指示していることがわかります。

B,「神の前に正しい」
「あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。」
 と。ここで、神はノアの「正しさ」について言及しています。それは「わたしの前」ともあるように、人の前の行いの正しさ以上に、神の前での、神を信じる、信仰のことを意味していました。ヘブル人への手紙11章にこうあったからでした。

「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」ヘブル11章7節

 「信仰によって」とあり、「恐れかしこんで」とあり、そして、その正しさは「信仰による義」とあります。その「信仰による義」をノアは相続して行った。これがノアの出来事にはっきりとしている一つの神の御心であることがわかるのです。

C, 「天の水門が開かれた」
 この七日後、11節に、「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた」とあるような大雨が、世界中で降り始め、地上は一気に水かさが増して行きました。雨は主が言われた通り(4節)に、「四十日四十夜」ふり続け(12節)、水の増加は、地上にあるどの高い山々でさえも覆うほどに増えて行きます(19〜20節)。もはや乾いた地が全て水の下に沈んだことになります。増加は150日間続きます。雨が止んだ後も増え続けた水は、私たちの理解を超えていて、地下の水も湧き出てきたのではとも言われているようですが。そのように水が地上を覆い神が言われた通りに(6章17節、7章4節)、

「こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。」21〜23節

 と、全てが消し去られたのでした。しかし、

「ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。」23節

 箱舟に乗った、ノアとその家族、そして、神が命じるままに、箱舟に乗ったあらゆる種類の一つがいの動物、さらにはその他に、2、3節にある通り、礼拝の生贄のための、きよい動物、七つがいと、きよくない動物、一つがい、だけが残ったのでした。

3.「神の言葉は真実」

A,「目に見えない事柄を信じ委ねる」
 この所から教えらることはいくつかあります。まず第一に、神の言葉は、その通りになる、その通りに起こることが証しされています。神の言葉は真実であり、偽りも間違いもありません。ではなぜ、その言葉で創造されたはずの被造物がリセットされるのか、という、誰もが投げかける疑問ですが、述べてきた通りで、人の前では矛盾するようでも、神の前では決して矛盾はしていない。神と比べて人間のはるかに小さな知識や理性や常識の枠組みに、計り知れず大きな神を閉じ込めることは決してできないということであり、わからないことはわからないままにしておくということでした。事実、ノア自身が、そうでしょう。ヘブル11章7節では、「まだ見ていない事がらについて」とあります。そう、ノアも、神から語りかけがあった時に、目の前に見える信じることができいる事柄は何もないのです。ですから目の前に広がる世界は、そんなことが起こるだろうかという現実が広がっていたことでしょう。そんな周りは神もなく、自分たちで達成したかのような繁栄の中で、好き勝手に生き、まさに目に見えるものを享受している、そんな中で、孤独な自分たち、そこに目に見えない神の言葉だけがあり、その神の言葉は、目に見えない先のことであり、目の前にある現実のことではないわけです。ノアも、アダムとエバの子孫であり、罪人なのですから、完全な服従、完全な思い、心があったわけではありません。彼も、彼の家族も葛藤の中におかれたことでしょう。しかしそれでもノアは、神と神の言葉を「恐れかしこん」だのです。人の目から見れば、わからないこと、矛盾することに溢れている神の言葉、神の命令であっても、わからないことは全て神に委ねて、まだ見ていないことを神の言葉に委ねて従ったのでした。ですから、いろいろな教会が、人の前に支持されるから、としているような、矛盾も難解なところも、なんとか人間の理性で説明づけて教えることが信仰や宣教でもなければ、そのようなところは、書かれている言葉の神の真意を捻じ曲げてでも、人間のわかるように味付けし直して提供するのが敬虔な宣教でもないのです。わからないことはわからなままにしておき、神に委ねる。目に見えない事柄、見てないない事柄を、神の言葉はどこまでも真実であると、恐れかしこみ委ねる、それこそ単純な信仰、幼子のごとき信仰だということが教えられているように思います。

B,「救いは全て神からの恵みの出来事」
 そして、この所で教えられる大事な一点は、救いは人のわざではなく、どこまでも神から来る恵みであるということがここには現れているということです。ノアは確かに、箱舟を神の言う通り作りました。しかし何度も言いますが、ノアはアダムとエバの子孫であり、堕落の遺伝子を受け継いだ、どこまでも一人の罪人にすぎません。彼の正しさは神を恐れ畏んだその信仰のゆえです。箱舟も救いもノアが全てを始め実行した出来事では決してありません。まず裁きは神からきました。世に悲しむべき、み言葉に聞かなくなり、悪が蔓延するのは感じつつも、ノアが誰かを断罪し裁きを宣言したり、裁きを呼び下したのでもなければ、裁きを祈ったわけではありませんでした。いやむしろ、ノアがみ言葉の証しにあるように、神の言葉を恐れ畏む、信仰のゆえに、神の前に正しい人であるなら、何より自分の罪深さをわかっているからこそ神の前に恐れかしこんだのであり、そうであるからこそ、彼は、神からそう伝えなさいと言われない限り、自ら、誰を裁いたり、滅びを口にしたりは決してできなかったことでしょう。新約聖書にある、自分が神の前に罪深いものであることを忘れているパリサイ派の人々が、自分を棚上げして、隣人を断罪したり裁いたりしていたことからもわかるように、人というのは大いにして、自分が神の前に罪深いことを知らないからこそ、高ぶって人を裁くのであり、逆に神を恐れ畏み、神の前で自分の罪深さを知っている人は、神の前で隣人をさばいたり、呪ったり、滅びを願ったりできないものです。むしろあの取税人の祈りのように、神を恐れかしこんで「私を憐れんでください」と願うしかできないものです。そのように滅びの計画はノアからではなく、神からでした。ノアはそんなことが起こることなど知らなかったのです。しかしそれを知らせたのは、まさしく神からでした。そしてその後も、確かにノアは箱舟を作りはしましたが、それも神が作るように命じたからですね。そして神が言われたその通りにの材料、大きさ、工法に習って、完成したのが箱舟でした。先ほども言いましたように、それは最初は、まだ見ていない事柄であり、孤独と葛藤の中で信じなければできないことでした。そのように、箱舟はノアから出たアイディアでもなければ、彼の設計でもありませんでした。全ては神から出たものであり、神が備えたものであり、神がそのような孤独と葛藤のなかで、まだ神の霊が留まっていたノアとその家族を聖霊が助けることによって、神が完成させたものであったことが、6章と7章からわかることでしょう。そして今日の1節で見たように、箱舟に入るときも、神からの指示でした。

C,「ノアは戸を閉めなかったー「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」」

「入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」16節

 みなさん。ノアと家族は箱舟に入りましたが、ノアは戸を背にして、その扉を閉めなかったのです。ノアは閉めず、主なる神が、ノアの後ろの扉を閉めたのでした。Lutheran StudyBibleにおもしろ解説がされていました。これは神がノアと家族を外側の人の強襲から守るための憐れみの行動であり、そして最後の瞬間に慌てて後悔する人々に対して、ノアや家族の憐れみを示す傾向から彼らを守るためだと。誰でも事が起こってから間違っていたと気づくものであり、その時は誰でも自分は間違っていましたと言うものです。しかし神の前にあって、事が始まり目に見える目の前に既に起こっている時には、もはや外側の人には憐れみの時は過ぎ去ってしまっているのです。だからこそ神は全てをご存知で、ノアとその家族だけ、と前もって告げていたのでした。しかしノアや特に家族にあっては、その前に広がる災いを目にした時、そこに神の計画がありながらも、人間の憐れみや感情との戦いでもあった事でしょう。後悔しているように叫んで、船に乗ろうとする人を入れてあげたい衝動も当然、戦いであったでしょう。ノアは自分で扉を閉められなかったのでしょうか。それはわかりませんが彼は閉めませんでした。しかし主が、ノアの背後に開かれていた扉を閉めたのです。人間には決して計り知れない、神がどれだけ悪や罪に対して怒っているのはわかっていても、目の前の滅びゆく人間と世界を前にして葛藤し、苦しみや悲しみ、神の御旨と格闘するのが人間の性質でもあります。そのような中で扉は閉められなかったノア。そのようにノアには、つまり人間には、箱舟の出来事は決して成就できません。まさに神が始め、神が箱舟を作らせ、神が雨を降らせ、神がノアたちを箱舟に入れ、神が、扉を閉めたからこそ、人間には計り知れないこの出来事は起こったし、そして何より、その神のご計画と実行にゆえにこそ、アダムとエバの子孫であり罪人であるノアとその家族だけは滅びる事がなかった。そして罪深い人間の計画や行いではなく、神がその「女の子孫の彼」が悪魔の頭を砕くと言う、その救いの約束と計画を、唯一残された信仰の人、ノアの家族を守ることによって、決して断つことなく、約束を放棄しないものとせず、守ろうとしておられる。その事がここから私たちが教えられる紛れもない事実ではありませんか。

D,「神の真の目的と計画は滅びではない」
 事実、人間の悪を完全に断ち、再び堕落前の楽園にリセットする事のために、洪水が起こされたのではない事はこの後わかります。いずれ見て行くところですが、洪水の水がひいて、8章の終わりで、彼らが箱舟から出たときに、神はノアの礼拝のなだめの供え物の香りが登ったときに心の中で言われます。

「主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」8章21節

 この洪水の後でも、そしてノアのなだめの供え物の香りを嗅がれたその時でも、神はそこにいる人間であるノアとその家族を前にして分かっているのです。「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」と。そしてそのように、この後も人のアダムとエバから受け継がれた罪の影響は再び広がって行きます。しかし創造の前からもう一つ確固として守り受け継がれているのは、「女の子孫の「彼」」の系図、子孫。その約束です。悪が蔓延し、最後の一人の信仰者家族を悪と不信仰の侵食から守り、滅びが本来の目的ではない、真の救いの約束を決して取り下げず放棄しない。忘れない。希望は繋がり、信仰は繋がっていく。神は確かにそのことをなされたことを、何よりここから教えられます。

4.「終わりに」
 その実現が、このイエス・キリストであり、その十字架と復活です。私たちは今日も神の前に、自分たちの圧倒的な罪深さを教えられ、心を刺し通されるのですが、ただ断罪と裁きが神の目的では決してない。このイエス・キリストこそ、私たちへの神のはっきりとした御心。この一人子を罪の世に与え、十字架で死なせ、私たちの罪の代わりとし、「あなたの罪は赦されています」と言ってくださり、だから「安心して行きなさい」と、どんな時でも平安のうちに遣わしてくださる、それが、神がこのイエス・キリストの十字架で私たちに現わしてくださった事です。そのイエス様の福音を今日も受けましょう。そして、安心してここから出て行き、そしてその福音の力にあって、世に用いられていることを祈り、主に従い、隣人へ仕えて行きましょう。




<創世記 7章1〜24節>
 1 主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの
  時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。
 2 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄
  と雌、一つがいずつ、
 3 また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生
  き残るためである。
 4 それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造った
  すべての生き物を地の面から消し去るからである。」
 5 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。
 6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。
 7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避
  けるために箱舟に入った。
 8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、
 9 神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。
10 それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。
11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごと
  く張り裂け、天の水門が開かれた。
12 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。
13 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子
  たちの三人の妻といっしょに箱舟に入った。
14 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、
  あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、入った。
15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところに
  入った。
16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりで
  あった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。
17 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げた
  ので、それは、地から浮かび上がった。
18 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。
19 水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。
20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。
21 こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべての
  ものも、またすべての人も死に絶えた。
22 いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。
23 こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで
  消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたもの
  たちだけが残った。
24 水は、百五十日間、地の上にふえ続けた。