2019年8月25日


「弱さの中で叫ぶ声」
使徒の働き 18章1〜11節

1.「はじめに」
 18章に入ります。議論好きなアテネの市民達に対して、街に祀られてある「知られざる神」を取り上げることによって、パウロは、その人間には決して知り得ない真理の神こそが、この世界に人となって来られ、世の罪のために十字架にかかって死んでよみがえられたとまっすぐ伝えていったのでした。しかしそんな万物の始まりである神が「死んでよみがえる」などということは、人間の理性や論理では決して理解できないことでした。そのため、議論好きなアテネの人々の多くは全く受けられずあざ笑ったのでした。しかしそのような中でもパウロの語る十字架の言葉は、幾人かの人に信仰を与え信じる者にとっては神の救いの言葉となったのでした。アテネを去ってパウロはコリントへと向かいます。

2.「コリントにて」
「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。」1節
 コリントはアテネにならぶギリシャの都市です。二つの海に挟まれた細長い土地にある港湾都市であり貿易の都でもありました。多くの外国人が滞在しています。そこであるユダヤ人との出会いがありました。
「ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、」2節
 アクラとその妻プリスキラでした。アクラは、ポントという北アジア、現在のトルコ北部の町で生まれ育ったユダヤ人でありキリスト者でもありました。しかしこの夫妻は、そのポントからやってきてコリントにいたのではなく、もともとはローマにいたようです。しかしこの2節にありますが、クラウデオ帝、これは4代皇帝クラウディウスですが、彼はローマからユダヤ人を追放したのでした。この追放があったからこそ、夫妻はこのコリントへやってきてパウロと出会うことになりました。そしてこの夫妻はパウロの宣教の良い助けになったと言われています。夫妻の職業は3節を見るとこうあります。
「自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。」3節
 アクラとプリスキラ夫妻は天幕作りをしていました。天幕作りというのは、テント作り、あるいは、革作りという意味になります。ですから天幕とはありますが、天幕、テントだけでなく、船の帆などに使われていた革を扱う職人であったと思われます。それは「パウロも同業者であった」とありますが、パウロはおそらく若い時にその技術を学んだと思われます。彼は宣教においても、時々、その技術を生かして働きながら宣教をしていたのでした。アクラとプリスキラとも同じ技術を持ったものとして一緒に協力して、宣教のみならずその天幕作りの仕事もしていたのでした。そして安息日にはパウロはやはり会堂に行って御言葉からイエス・キリストを解き明かしたのでした。

3.「熱心に承服させようと」
「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした」4節
 このコリントには会堂がありました。パウロは安息日の度にその会堂に行っては御言葉からイエス・キリストを語るのです。そこに、
「そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した」5節
 ベレヤからマケドニアへと行っていたシラスとテモテがこのコリントで合流することになります。それによって「パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した」と続いているのです。しかしです。
「しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。」6節
A,「犯行と暴言、対して着物を振り払い」
 パウロはコンリトの会堂で、ユダヤ人とギリシャ人相手に論じ、彼らになんとかイエスはキリストであると承服させよう、つまり説得、あるいは説き伏せてわからせようとしました。このように彼は熱心で一生懸命でした。そしてシラスとテモテが合流したのを好機として、彼は御言葉を教えることにも専念してますますイエスはキリストであると宣言して、その論じ承服させることに力も入ったことでしょう。しかしそれはなかなか「思うように」はいかなったようです。ついには一生懸命、説得しようとしていたその相手が「反抗して暴言を吐いた」のでした。それをきっかけにしてパウロは「着物を振り払って」とあります。つまりそれは怒りと拒絶の表れでした。ルカの福音書をみると、イエスは、もしその宣教した町が福音を受け入れない場合は、自分の足のちりを払い落として、その街を去るように、しかし神の国が近づいたことを知りなさいと言いなさいと教えているところがありますが(9:5、10:11)、この時のパウロはそのようではありません。感情的で怒りに溢れて言います。「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と。このコリントの会堂にいたユダヤ人とギリシャ人に対して、パウロは切れてそして感情的に見捨てたのでした。
B,「人間パウロ。人の理性が宣教をする?」
 みなさん、ここには教えられることがいくつもありますね。まず第一に気づかされるのは、使徒パウロも決して聖人ではなく人であるということです。パウロとて、思い通りにいかない時にやはり焦ったり、恐れたり、イライラしたりすることもあり、生身の肉体をもち、肉体的、精神的、そして信仰的な弱さがあったのでした。そして我慢の限界を超える時に、ぷっつりと切れてしまい爆発してもしまうのです。確かに理性的であることは重要なことです。しかし私たちが忘れてはいけないのは、人間の理性深さや理性の完全さが、宣教を進め、発展させ、成功させるという大きな誤解です。そもそも人間の理性は決して万能でも完全でもありません。どんなに理性的に見える人々であっても、限界や弱点もあれば裏もあり、人間は誰もが弱さを持っているのが普通です。しかし人間は、自分は本当は弱さも限界も裏もあるのに、そうではないように装おうともするし、社会が求めるのは本音ではない建前と見た目の良さの社会です。さらには自分以上に人には、とりわけ自分に対する対応として他人にはとりわけ理性深さや理性の完全さ、完全な対応を求める、そんな矛盾とエゴを持っているものです。そして世の中ではそのような秤が全ての成功を測る基準となるために、何か教会や宣教でも人間の優れた理性や能力が進めるかのように人は誤解するのです。しかしそれは実は福音的ではない落とし穴になります。なぜならそのように、本来、教会や宣教も神の恵みのわざ福音の力であるのに、人間の優れた理性や能力が進めるかのように思い、それで上手く行っていると見える時にこそ、逆に神の力は見えなくなり、御言葉や聖霊の働きは二の次か、あるいは最悪、不在になってしまい、キリストに「どこまでも」求めることも依り頼むことも結局は二の次になるか、全くしなくなり、結局、人間依存になるからです。
C,「一生懸命、説得ではない。福音の力」
 ここで学べることはなんでしょうか。パウロは一生懸命に、なんとかイエスはキリストであると説得させようと論じました。しかし一生懸命でも、結局「人の思い描いた通り」になるかどうかが中心になってしまうと、それは神の力ではなく人中心になり、思え描いた通りにならなかった時に、そこにはパウロでさえ陥った、焦り、恐れ、怒り、諦め、放棄などなどに私たちも陥りうるということです。福音の宣教、そして人がキリストを信じるということも、それはどこまでも福音の力であり、聖霊がそこに働いているからこその神のみわざです。人の一生懸命さで説得できたり、説き伏せたり、信じさせたりするということは決してできないものです。もしできるのであるなら、その教えは神から出たものではありません。いやどんな教えでも人の心を人の力で信じさせたり、支配したりというのはそもそもできないことでしょう。そうしようとするのが独裁であったり洗脳と呼ばれるものです。もちろん一生懸命であることは人の目からみるなら美しものです。いや当然、社会で与えられている日常の仕事やスポーツなどは一生懸命であるべきであり、それは社会的な責任でもあるのです。しかしこのイエス・キリストが与えてくださっている救い、福音による神の国の全てのこと、何より信仰や召命やその実現という賜物は、それは人の一生懸命さや説得による産物では決してないことをパウロのこの失敗は教えてくれています。宣教がキリストではなく「人のわざ」となり、人の思いや計画の通りが中心になっていく時、動機や行動は自ずと、必然的に、律法的になるのです。
D,「そんな不完全な罪人こそをイエスは選び、召し、行う」
 しかしここは「そうなってはいけない」という律法的な教えだけでもないのです。そうなってしまうのが、実は人間であるということも同時に見失ってはいけない大事なことではないでしょうか。パウロの姿は、実に私自身の姿であり、動機が福音ではなく、律法になってしまい、だからこそ「思い通りにならない時に」感情的になったり怒ってしまいます。パウロでさえもそうであるし、その神ではなく自分が中心になってしまい、福音ではなく律法的になってしまう性質こそ人間誰にでも日々起こることではありませんか。パウロもですから決して聖人ではなかった。聖パウロではなく人間パウロでした。私たちと同じ生身の肉体と同じような弱さを持った人間でした。
 しかし核心部分です。そのような不完全で罪深く、失敗し、人間のわざであるかのように、説得しようとし、うまく行かず切れてしまう、そんな弱さを持った人間を用いてこそ、イエスはその人を召し、その人を用い、その人にはない力を十字架のことばを通して働かせることによって、宣教や、信仰を与え強めることや、励ましたり慰めたりすることを行う、それが宣教であり、教会であり、クリスチャン一人一人であるということなのです。ですからまず神はルカを通してこのパウロの姿を私たちに示すことで、イエスの召しの素晴らしさと完全さと、人の思いをはるかに超えた神の計画、神のなさることを、イエスはここで私たちに示そうとしておられるのではないでしょうか。

4.「恐れないでー弱さのうちに働くキリストの声と力」
 そして何よりの幸いがあります。この後、パウロがそのように彼は理性的ではなく怒って、イエスが言ったように、足のチリを払って「神の国が近づいた」と言って去るのではなく、怒りと拒絶で去ったから、失敗したからと、イエスはそんなパウロを怒り、責め、裁き、見捨てたでしょうか。8節には、会堂管理者のクリスポ一家がイエス・キリストを信じたという幸いな恵みもありますが、何より幸いなのはイエスの言葉です。
「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。」9〜10節
 イエスは、そんなパウロを、怒り、責め、裁き、見捨てたりはしません。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」と言い励まします。つまりイエスは、パウロがまさに恐れていること、感情的になった先に、語ることができず黙っていることを知っていました。おそらくパウロがそのように会堂で語ったことで、全ての人が反抗し暴言を吐いたわけではなく、その会堂でパウロが語った福音で信仰が与えられ信じたのが、8節にあるような、クリスポの家族であったり信じたコリント人だったのです。会堂が混乱した為に、信じた人々は会堂管理者のところにきて洗礼を受けたと思われます。決して皆が反抗し暴言をはいたわけではなかったのですが、一生懸命やっても思い通りにならないことにパウロは恐れ、そして何よりも、そのように暴言に対して自分も暴言で会堂を去ってしまった失敗と罪に押しつぶされそうになり、彼はますます恐れを抱き語り続けられなかった。黙ってしまったことを、このイエスの言葉は示しています。イエスはそんなパウロを知っていました。パウロの心を、弱さ、恐れ、心配を知っていました。しかしその失敗を責めるのでも裁くのでもない。イエスは「恐れてはいけない」「わたしがともにいるのだ」そう言ってくださるのです。誰も襲わない。危害も加えない。大丈夫だ。心配する必要は何もない。そのように慰め、安心させ、励ましてくださるイエスがそこにいるでしょう。イエスは全て知っていて、受け止めて、受け入れてくださるのです。

5.「終わりに」
 人は限界があります。我慢の限界があり、怒るときも、見捨てる時もあります。しかし「イエスは」決して見捨てない。苦しみも失敗も、恐れや心配も、できないことも、語れないことも、黙ってしまうこともみんな知っている。しかしそんな弱さを知った上で、「わたしがあなたとともにいるのだ」「この街にはわたしの民がたくさんいて、あなたをそれでも用いよう。遣わそう」そう言ってくださるのがイエスなのです。感謝ではありませんか。これが私たちの救い主、今日も今も、たえず言葉を持って働いて何度でも立たせてくださる私たちの助け主なのです。事実11節、パウロは決してユダヤ人もギリシャ人も見捨てず、一年半、腰を据えて彼らに神の言葉を語り続けたではありませんか。イエスが立たせたのがわかります。私たちも失敗ばかり、弱さばかり、欠点ばかり、日々罪が溢れているかもしれません。私はそうです。しかし幸いです。弱さのうちにイエスは完全と働いてくださるのです。
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
コリント人への手紙第二12章9節