2019年8月4日


「十字架のことばこそ」
使徒の働き 17章16〜21節

1.「ベレヤを去るパウロ」
 前回は、ギリシャのベレヤでのパウロとシラスの宣教を見てきました。テサロニケの妬みにかられたユダヤ人達は、パウロがベレヤにいると聞きつけるとわざわざ80キロ離れたベレヤまでやってきて、ベレヤでも暴動を扇動しパウロは再び命の危険にさらされることになったのでした。そこで14節
「そこで兄弟達は、直ちにパウロを送り出して海辺までいかせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。」
 パウロはアテネへと向かいますが、シラスとテモテはベレヤへと残り宣教を続けることができたのでした。パウロがテサロニケの手紙にも書いている通り、パウロがこのアテネにいる期間には、パウロはテモテをベレヤからテサロニケの兄弟姉妹たちの様子を見るために遣わして、テモテはテサロニケの教会を励ましており、のちにアテネで彼らが合流したときは、テモテからテサロニケの兄弟姉妹達が、キリストへの信仰に支えられている知らせを聞き感謝し喜んでいることも書かれています。しかしシラスとテモテのみのベレヤ滞在やテサロニケ派遣もほんの僅かであったようで、パウロは一刻も早く二人がアテネにきて合流することを願ったのでした。これはなぜでしょうか?

2.「宣教はチームとして召され、十字架の福音において結ばれる」
 その理由として、宣教というのは、かつてイエス様が、弟子達を二人一組で遣わしたり、あるいは、12人という弟子を召し、一つの兄弟とし、12人の使徒を選び教会が始まったように、宣教、伝道、教会は、決してワンマンプレーで成り立つものでも、「一人でする」ように召され遣わされているのでもなく、どこまでもチームで使われて、チームが一つのものとして召され、チームで用いられていくものであったからと言えるでしょう。確かに説教者はパウロであったかもしれませんが、しかし宣教は、説教者などのパウロが特別、偉く、誰が主体だとかでもなければ、他の二人はそんなに重要ではないとかそんなことではなく、互いが互いにとって大事な同胞であり、同労者であったのでした。そして大事な点ですが、そのチームを結び一致させる「結びの帯」も「でなければならない」とか、互いにさばき合うような律法の帯ではありませんね。パウロはこう言っています。
「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」コロサイ3:13〜15
 と。ここに「あなたがたも召されて一体となった」とありますね。そしてその「結びの帯」は、キリストを主体とし、聖霊とみことばを働き主とし、そして「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」とあるように、ただの愛ではない、どこまでも十字架の福音の帯であり、キリストの愛の帯であり絆であるのはいうまでもありません。宣教、伝道、教会は、確かに一致して進めていくものです。しかしそれは、強いたり、裁いたり、「しなければいけない」の「律法の帯」では、実は世の中にも沢山ある一致と変わりありません。教会の一致は、世にはない「キリストからの一致」であり、それは律法からは生まれないし、律法では結ぶことはできません。福音が結ぶからこそ、一致は喜びであり、一致した宣教になっていくと言えるでしょう。ですからそういう意味では、もちろん、パウロは、シラスとテモテを働き人としてのチームと見ているのと同時に、離れ離れになったテサロニケやベレヤの兄弟姉妹も宣教の同労者でありチームであると見ているとも言えるのです。テサロニケやベレヤの教会はチームとは関係ないから早く来て欲しいということではなく、もちろん諸教会もキリストにあってはチームなのです。だからこそパウロは、早く来て欲しい思いと同時に、他の教会を励まし、テモテの伝える信仰が生きている知らせに喜んでいることも見えてきます。このように、教会が、キリストという福音の帯で結ばれるなら、その一致は、見える目の前の存在、自分たちの教会や群れだけでなく、見えない遠くの存在や、時間を超えた過去や未来の存在に至るまで及ぶ、壮大な一致であり、教会はどこまでも一つ、私たちはその中の大事な一人一人であることが教えらえるのです。

3.「二人を待つパウロ。アテネにて」
 さて、そのように二人の到着を待っていたパウロですが、すぐに来るわけではありません。パウロはそれまでの間、アテネの町を回るのです。アテネは、ギリシャの伝統的な都であり、首都ですが、パウロは初めてであったようです。そのアテネの町を見て、パウロは驚きます。
「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。」16節
 アテネの町は、偶像の街でした。古代ギリシャから様々な神々の教えや神話があり、また哲学の伝統もあります。彼らが知的好奇心にあふれ、議論が大好きで、奴隷や女性は除外されていましたが、古代から民主制政治が行われ、アゴラと呼ばれる広場は政治的な議論が行われました。パウロはまずその溢れる偶像に憤りを覚えます。
「そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。」17節
A,「広場にて:ギリシャ人にはギリシャ人のように」
 まずこのアテネでも、パウロは会堂に入ります。会堂に集まって礼拝をする習慣があるユダヤ人や敬虔な人々には、いつものように、会堂で、礼拝で、聖書を開くことから始めます。そして会堂に集まる文化のないギリシャ人達に対してパウロは、人々が集まり議論している場所、アゴラと呼ばれる広場に行きそこで語り論じ合うのです。ここで何か変則的なパウロのスタイルがあるように確かに見えます。会堂のない都市であったピリピであっても、敬虔な人が集まる川に行きました。しかしここアテネでは、ギリシャ文化では政治的な議論の場であり社会の中心とも言える広場、アゴラで、しかも毎日です。論じ合ったのでした。確かにまず「会堂に入った」と強調はしてきました。それと違うじゃあないかと言うかもしれません。しかし会堂に入るにせよ川岸にせよ、大事なのは建物や形式、目に見える場所ではなかったでしょう。それは、会堂にせよ、川岸にせよ、だれか兄弟姉妹の家にせよ、いやさらにいえば、ペテロや他の弟子達は、エルサレムでサンへドリンと呼ばれる議会の真ん中に立たされ、ステパノに至っては、まさに処刑される直前の場所でした。しかしどこであっても、一致して変わらないのは、「何を語るか」であったでしょう。どんな場所であっても、使徒達、そしてパウロも、聖書から、一体、何を語り、何を指し示してきましたか?憤りの吐露、感情の言葉でしたか?自慢話や経験談ですか?面白い楽しい話ですか?それとも、律法的な裁きの言葉でしたか?哲学的議論ですか?知的論理的な説得ですか?政治的な議論ですか?
B,「広場で常に変わらず、何を語ったか?」
 そうではありません。聖書を開き、つまり旧約聖書を開いて、神が約束した救い主が私たちのところにこられ、私たちのために十字架で死なれた。そして三日目によみがえられ、今も生きている。その十字架の言葉ではなかったでしょうか。このアテネのアゴラではどうでしょうか?
「エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。」18節
 パウロは変わらず何を伝えていたでしょう?「パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである」とあるではありませんか?エピクロス派とストア派は当時のアテネで最も人気があった思想です。しかしだからと、そこで哲学的議論でも政治的議論でも、憤っているから感情的主張でもなく、パウロはどこまでもイエス・キリストのその十字架と復活を語ったのでした。
 みなさん、ここからもはっきりとわかります。確かに「ギリシャ人にはギリシャ人のように」とよく言われます。「現代人には現代人のように」と。だから、現代の人はネガティブワードが嫌いだから、楽しいエンターテインメントが好きだから、悔い改め、罪、堕落、十戒、そのようなものは語るのはやめよう。十字架でさえネガティブで残酷だから十字架も語るのはやめよう。人気のあるものでオブラートに包むように語ろう、愛だけ語ろう、自己啓発的な教えにしよう、自己愛を語ろう、セルフエスティームや自尊心を高めよう、そのために、キリストではなく、ぼんやりぼやかして神という言葉だけ使おう。神をエンターテインしよう、自分たちが演出しよう、などなど。そのような耳に優しい、よく言われる「文化的適用がなされた」教えは、数えきれないくらい出てきています。残念ならがら特に福音派でもです。しかしそれは福音のように見えたり聞こえても、イエスが与えてくださった福音を捻じ曲げるものであり、十字架を無意味にする以外の何物でもありません。そのような背景には、やはり律法があり、人が増えなければ、大きくしなければいけない、そのためには自分たちが説得しなければいけない、信じさせなければいけない、という律法の動機があるものです。もちろん多くの人が救われるように、それは初代教会から変わることのない教会皆の祈りの課題、第一条で、極めて大事な願いです。しかし誤解してはいけないのは、救うのはキリストであり、その力は福音であり、私たち人間の力や説得でもなければ、教会を律法による扇動し駆り立てることでもなく、まして福音を都合のいいように捻じ曲げて信じさせることでもありません。ギリシャ人にはギリシャ人のように、パウロは確かにアゴラに行きました。しかしそこで流行りの哲学的議論はしませんでした。集まった人々を説得できるように、エピクロス派やストア派の教えに聖書を適用させた教えや、そのような哲学的な教えで捻じ曲げた福音を語ったりしませんでした。パウロは、どこまでも一貫して、キリストの十字架と復活を語ったのです。
C,「十字架のことばは」
 彼らは19節や21節にある通り、新しい教え、珍しい教えには好奇心旺盛で、一緒にきて話して欲しいと確かに聞きはしましたが、結局、彼らは理解できません。それ見て「もっとうまくやったらいいのに」「もっとその彼らが興味のある哲学の真理でオブラートに包んで言えば信じさせられたかもしれないのに」と思うかもしれませんが、それをずっとやってきたのが合理主義者やリベラルの人々でもあります。しかしパウロはしませんでした。彼らが信じることができなくても、彼らギリシャ人にとっては愚かに聞こえる馬鹿馬鹿しい教えであっても、パウロはアゴラで十字架の言葉を語ったのでした。なぜなら十字架の言葉こそ救いに至る人々にとっては人を救うことができる、神が働くいのちの言葉、真理のことばだからなのです。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」第一コリント1章18〜25節
 私たちに与えられている救いの言葉、いのちのことばはこの「十字架の言葉」なのです。パウロは2章1〜2節では、
「私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」同2章1?2節
 とも言っています。私たちが何を聞き、誰の声を聞き、何を信じ、何より拠り所にするか、私たちに与えられた道であり、真理であり、いのちは、何なのか?そのことが、聖書ではっきりと述べられています。「イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方」「十字架の言葉」「福音」にほかなりません。この十字架の言葉は、私たちにとって、愚かですか?虚しいですか?弱いですか?無意味ですか?流行遅れですか?それとも、神の力ですか?私たちの信仰が何への信仰か?何よって平安を得るか?どこに確信があり確信の拠り所を置くのか?問われている言葉です。答えは明らかです。私たちにとって、十字架の言葉は、神の力ではありませんか?今日も感謝しましょう。今日も、イエス様は、その神の力で、私たちに罪の赦しを宣言し、今日も新しく生まれさせてくださり、今日も私たちは新しいです。この確信と恵みの御言葉と聖餐を、喜びをもって受け、ここから安心して、遣わされていきましょう。