2019年3月10日


「反目の背景にある道なるキリスト」
使徒の働き 15章36〜41節

1.「前回まで」
 アンテオケ教会に起こり、エルサレムでの教会会議にまで発展した問題、それは「異邦人が救われるためには、モーセの律法を行うことが必要なのか、それともただイエス・キリストの恵みのゆえに信仰によってのみなのか」という問題について使徒達は、イエス・キリストが救ってくださったのは律法を行うことによってではなく、むしろ父祖達さえも追いきれなかった律法のくびきだったからこそ、神はそのくびきを私たちに負わせたのではなくイエス・キリストを世に与え、十字架に従わせ、イエス・キリストにこそそのくびきを負わせたではないか。その神の恵みによってこそ、私たちは救われたのではないのか、それはみ言葉にも約束されていることであり、その恵みは異邦人たちも同じではないか、そのように彼らは、救いはどこまでも誰であってもキリストの恵みのゆえに信仰によってであると一致したのでした。

2.「イエスこそ道であり真理でありいのち」
 そのようにこの問題において「モーセの律法や割礼によらなければ救われない」と主張する人々に対して、イエスの恵みのゆえの救いを証しすることによって強く反対してきたのは見てきた通りバルナバとパウロであるのですが、この対立というのは決して人の勝ち負けの問題でもなければ、人の主張や正義のぶつかり合いによってバルナバとパウロ自身の主張や正義が優っていた、正しかったということでもなく、バルナバとパウロの方がユダヤ人たちより優れていたということでもありません。つまりそれは、そのような勝ち負け、優劣の問題ではないのです。大事なことは教会において常に真理はイエス・キリストとその福音にこそあり、そのイエス・キリストとその福音こそが教会が絶えず陥る間違った教えた間違いを修正し、正しい道、新しいいのちへの道へ導くのだということです。まさにイエスが
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ誰ひとり父のみもとにくることはありません。」ヨハネ14章6節
 と言われた通りなのです。このように教会が会議を通して律法主義の道ではなく、福音の道へ修正されたのは、パウロやバルナバのわざでもペテロやヤコブの力や権威でもないのです。それはイエスが福音と聖霊を通して彼らに働いておられ、イエスが語ったこと、なされたことを思い起こさせ、イエスの力とわざによるものであったのであり、使徒たち一人一人は、皆と同じ、私たちと同じ、罪深い人間であったのでした。このところにはまさにそのことがよく表れていると言えるでしょう。36節から読んで行きます。

3.「与えられた召命」
「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、また訪ねて行ってどうしているか見て来ようではありませんか。」
 パウロはバルナバにこのように提案するのでした。つまり第一回目の宣教旅行で回った諸教会ーそれは建物としての教会があったわけではなく、キリスト者の集まりとしての教会があったわけですがー、その諸教会をもう一度訪ね、その兄弟姉妹たちがどのようにしているのか見てこようというのです。「どうしているか見て来よう」とありますが、一回目の宣教旅行で、その訪問する町々で救われ人々はユダヤ人たちの強力な反対や否定や迫害がある中で信仰が与えられた人々でした。パウロ自身も石打ちに会い、周りの人が死んだと思うほどの激しい迫害に会いました。当時はクリスチャンたちはまだどの街でも、ユダヤ教の異端的な一派とみなされていましたから、少数派かつそのような逆境の環境の中で彼らは信仰に生き礼拝をしていたのでした。ですから「どうしているか見て来よう」には、彼らが無事であるのかという心配ももちろんあったことでしょうけれども、エルサレムでの教会会議の経緯もありますから、教会会議で一致したことの報告とそして彼らもまた律法による救いという間違った教えに逸れていないか、しっかりと正しい福音に立って歩んでいるかを見るためでもあり、何よりも前述の通り、教会の正しい道はイエス・キリストとその福音にあるのですから、彼らを改めて「福音で」慰め励ますためにもう一度、見にいくことを意味しているのです。このことももちろんパウロ自身に与えられた一つの志であり召命でもあるでしょう。つまり主イエスがみ言葉、福音を通してパウロに建てさせたものとして主イエスご自身が始められる第2回目の宣教旅行なのです。しかし最初に述べたように、それは人の判断や行い、正しさや完全さによって進められていくのではなく、ただ主イエスこそ「道であり、真理であり、いのちである」と述べたとおりなのです。

4.「激しい反目〜マルコの同行を拒むパウロ」
 そんなパウロ自身とバルナバとの間に反目が生じます。
「ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。」37〜38節
 バルナバは「マルコと呼ばれるヨハネ」も第二回目の宣教旅行に同行させようと思っていました。このマルコはマルコの福音書を書いた人物です。マルコは一度13章で登場しています。マルコはエルサレムの自分のお母さんの「家の教会」で祈っていたときに、迫害で死んだと思っていたペテロが現れ、ペテロが話した、イエスに助け出されたその恵みの証しを聞き、福音を通して彼も宣教の召命が与えられ、バルナバとパウロと一緒にアンテオケにやってきました。そしてバルナバとパウロの1回目の宣教旅行に同行したのです。しかしです。38節でパウロが述べている通り、パンフリヤでマルコは、バルナバとパウロ一行から離れて、つまり宣教旅行を途中でやめて帰ってしまったのでした。パウロが「仕事のため」と言っているその帰ってしまった理由は詳しくはわかりませんが、パウロはそのように一度主によって始められたこと、主が召してくださったことを途中でやめるなんてことは受け入れがたいことととしてマルコを同行者としては認めませんでした。
 現代でも献身した人が、神学校や牧師を様々な事情で途中で辞めたりするということが時々あります。しかしそのようなときに決まって「召命を一度投げなすような人は、主に対する裏切りだ」とでも言わんばかりの非難が巻き起こることはよく起こることです。そして残念なことにその人が爪弾きのようになり教団や教会にいられなくなったりもするなんてこともあるわけです。そのような考え方にはパウロのこの考え方に似たものがあるかもしれません。「主が与えた召命を自分の都合で途中で投げ出すなんて。召命は変わらないのに中断するなんて。そんな人は働き人にふさわしくない。宣教に相応しくない」と。

5.「バルナバの見ていたもの」
 しかし、その考え方は「ある人々にとっては」当たり前で正しい考え方であるのかもしれませんが、しかしバルナバはそうではありませんでした。バルナバはそのマルコをもう一度、宣教旅行に連れて行きたかったのでした。よく言われることとして、エルサレムで家の教会を持っていたマルコの母マリヤはバルナバの姉妹であったということを踏まえると、マルコにとっては叔父であったバルナバは甥のマルコに贔屓目であったのかもしれません。しかし彼は「慰めの人」とも呼ばれています。一度の失敗で人を断罪したり見捨てたりすることのできない人でした。だからこそ思い出します。イエスによって捕らえられて回心したとはいっても、誰もが警戒し受け入れられなかったパウロを受け入れたのもこのバルナバでした。彼はマルコに対してもそうであったのです。確かにまるこは、一度は彼の弱さのゆえに宣教旅行を途中に帰ってしまいました。しかしだからと言って彼は信仰を捨てたわけではありませんでした。まだ若く欠点はあっても彼は1人のクリスチャンとして教会で礼拝し仕えていました。その召命ももちろん変わらなかったでしょう。何より「主にあっては」です。
 人は一度の挫折で、その召命を捨てたと安易に断罪してしまいますが、しかし信仰を捨てたのでない限り、誰もそれが召命を捨てたとは言い切れないでしょう。その判断は主イエスだけができることであり、人はできないことです。むしろ一度、そのような彼の弱さで召命を中断したことを、人の側で「彼は変わらないはずの召命を変えたんだ」と断罪するところに人の神の領域を超えた行きすぎた判断がありそれもまたある意味同じように不信仰です。
 最初から繰り返し述べている通り、人はどこまでも不完全で罪深いものです。クリスチャンといえど、使徒といえど、失敗もすれば挫折もします。しかし人はそれでもどこまでも変わらないのは主の言葉であり、それによって左右されないのが主が与えた召命であるはずでしょう。マルコは確かに一度去ったのは不信仰のゆえ弱さのゆえであったかもしれません。しかしバルナバはその失敗や弱さを見て断罪するのではなく、マルコの慰めと希望ある未来、そして主が変わらないと言われるその主の召命の約束を見たのではないでしょうか。マルコは一度去ったが、主の福音の宣教のためにという変わらない召命がある、そうであれば、もう彼は相応しくないと切り捨てるのではなく、彼をもう一度同行させることの方が主の御心であり彼の「慰め」と励ましと希望、そして成長になるであろう。彼はそのように主とその恵みにあっての彼の将来、希望を見たのです。このように人の側から見て私たちが律法的に見て一般的に正しい判断や信仰基準や召命基準のように思っているものがあっても、実はそれは決して絶対ではなく、むしろ一歩立ち止まって恵みの視点、福音の視点で見るなら、バルナバのように大事なことに気づかされることがありうることをこのところは教えられているように思います。

6.「パウロの反目が示すこと:同じ人間として「どちらも」」
 そしてパウロからも教えられます。パウロの言いたいこともわからないでもありません。時に厳しさも必要ではあるでしょう。しかしマルコが相応しくないという判断は早急であり安直であり、そして律法的な判断です。マルコの召命に対して安易に判断を出しすぎています。しかしこのことは一つの事実を私たちに教えています。みなさん。あれだけ福音を掲げ、福音を動機として、異邦人クリスチャンの救いの確信のために戦い、福音によって教会の正しい教えを守ったパウロです。しかしその彼もこのように律法的な側面が顔を出しています。このことは教えてくれています。それは「どちらか」ではなく「どちらも同時に」私たちには存在するということです。それは肉による律法的な生き方と、霊による福音による生き方の「どちらも」です。私も牧師として、律法による救いや生き方ではなく福音にある生き方を毎週ここから語ります。しかしそれは私自身にもう律法主義がなく、私が常に福音のみだけで完全に生きているということを意味していません。福音を語り伝え、福音にある生き方を説教する私自身にも律法主義が絶えずあります。「どちらか」ではないのです。そして「どちらか」になることもできません。なぜなら私たちは肉の性質にあってはどこまでも罪人であり神の恵みを否定する性質が常にあるからです。しかし「同時に」キリストにあっては、私たちは100パーセントの恵みにも生きることができます。私たちには「どちらも」あるのです。律法主義と福音にある生き方と。もちろん私たちがキリストに向き福音を受け取る時に律法からは解放され、むしろ自由な平安な心で喜んで律法を行っていこうとするのですが、しかし私たちの肉の性質はいつでも恵みを拒むゆえに律法の行いによる義に戻ろうとするのです。だからこそ私たちは毎週、福音に聞き、福音に立ち返り、福音を受けることが必要なのですが。それはパウロも同じであるということです。福音による救い。恵みのゆえに信仰によってと訴え続けた彼も罪人であり、彼も時に律法の束縛に陥ってしまうものであり、彼はそのようにどこまでも私たちと同じ人間であったということなのです。

7.「道であり真理であるいのちであるイエスこそが」
 そしてそのことは、最初から私が語っていることの証しでもあります。それはパウロであろうとバルナバであろうと、ペテロやヤコブであろうと、彼らが完全で彼らが正しく、彼らに力があったから、教会会議で間違った教えを修正でき、宣教が前進させ、人を救うことができた、ということでは決してないということです。彼らも私たちも私自身も皆、神の前には罪人です。私たち自身には会議も教会も宣教も正しく導く知恵も力もありません。それなされるのは唯一イエス・キリストのみであり、福音によってこそなされるのであり、イエス・キリストとその福音こそが道であり真理でありいのちであり、イエス・キリストとその福音を通してでなければ誰も父のもとに行くことはできないのです。ですからこのところは、イエス・キリストとその福音こそが教会会議を導き、間違った教えから修正させ、教会を正しく導き、宣教をさせる、志を立てさせことを行わせる、全てのことに働いて益として下さる、そして私たちに慰さめと平安、自由と希望を与えることができる。そのことを示しているのです。

8.「反目の先にある神の恵みのわざ」
 事実、2人の激しい反目の先に、やはり「神の恵みのみ」があります。そのような罪深い反目する2人ですが、しかしそれでも2人も、またマルコも別々の主の計画のうちに用いられて行くでしょう。結局バルナバはマルコを連れてキプロスへ渡って生きます。そしてパウロはシラスとともにシリアとキリキヤの諸教会を巡って励ますのです。つまりこれにより宣教者は2人から4人になりルートも二つできました。これは人の思いを超えて主にあって益とさせられています。そしてマルコはバルナバがパウロの意見に反して宣教に連れて行ったからとバルナバもマルコも呪われたでしょうか。マルコは宣教のために用いられていかなかったでしょうか。そんなことはありません。まずバルナバとパウロはこの時は激しく反目してもパウロはバルナバを再び尊敬しています。そしてマルコはペテロの弟子となり、ペテロの口述するイエス・キリストの証し書き記し、最初の福音書であるマルコの福音書を書き残すために用いられるでしょう。一人一人は罪深い欠点ばかりの存在です。しかし主こそ力があり事をなし、主こそが用い、主こそが変わらない召命を果たすのです。その証しがここにありそれは私たちにとっての福音として励ましと希望を与えてくれるのではないでしょうか?