2022年4月10日



「ゲッセマネの祈り」

新約聖書:マルコの福音書 14章32〜42節



◎受難週


イエスさまは日曜日にエルサレムに入城しました。木曜日が種なしパンの祭りの最初の日で、イエスさまと弟子たちは町の中の2階の広間で伝統的な過越の食事をしました。この食事は、後に最後の晩餐と呼ばれるものです。イエスさまはこの食事が十字架の前の最後の食事だとご存知でしたが、きっと弟子たちは分かっていなかったと思います。

この食事の後、イエスさまは弟子たちを連れてオリーブ山の麓のゲッセマネという場所に行かれました。

この時、ユダはすでにイエスさまの元を離れていましたので、イエスさまと11人の弟子でゲッセマネの園へ行きました。まず、「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい」と言って8人の弟子たちを園の入口付近で待たせました。

そして、イエスさまはペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて園の中に入り、3人に「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目を覚ましていなさい。」と言われ、さらに少し進んで祈り始められました。


◎イエスさまの祈り


イエスさまはこの時、「この杯をわたしから取りのけてください」と祈りました。「この杯」というのは、この後に起こる「十字架の死」です。

イエスさまはその後に「復活」します。「十字架の死」がただ死んで終わるだけのものでは無いことはご存知でした。そして、「十字架の死」が私たちの救いのために必ず必要であり、決して取りのけられるものでないこともご存知でした。


では、なぜ、まるで弱音を吐くようなことを祈られたのでしょうか?

私たちは忘れがちですが、イエスさまは100%神さまであるとともに、100%人間です。100%人間であると言うことは、十字架につけられて死に至ることには、肉体にも心にも痛みがあるということです。イエスさまは、ご自身では全く罪を犯すことが無かったのに、私たちの罪のために十字架につけられなければならなかったというのはどれほどの苦しみだったでしょうか。

イエスさまはその苦しみを否定すること無く、父なる神さまの前に祈りました。私たちも、祈るとき、自分の弱さを認めて告白することは悪いことではありません。苦しみから逃げるようなことを祈ってはいけないということはありません。

父なる神さまは、私たちが祈る前から私たちの願いを知ってくださっている方ですが、私たちがその願いを言葉にして祈ることを望んでおられます。


そして、イエスさまはさらに大切なことを教えて下さっています。私たちは自分の弱さを祈ってもよいのですが、イエスさまのように「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈ることです。

祈りさえすればすべての願い事が聞かれるわけではありません。神さまのみこころにかなった祈りが聞かれるのです。この祈りは、どのように神さまに対して従順であるべきかという見本も示しています。

イエスさまは色々と祈りについて教えて下さっていますが、このゲッセマネの祈りもとてもよいお手本だと思います。


◎弟子たちの弱さ


イエスさまが祈り終わって弟子たちの元へ戻ってくると、弟子たちは寝ていました。このシーンを読んで、私たちが、もし自分なら寝ずに祈りながら待っていることができるのに、と思うなら、弟子たちと同じ過ちに陥っていると言えます。


イエスさまたちがゲッセマネの園に来たとき、すでに夜遅い時間だったと思われます。弟子たちは疲れていたと思いますが、寝てしまうつもりなど無く、最初はイエスさまに言われたとおり熱心に祈っていたものと思います。しかし、イエスさまの言われるとおり「心は燃えていても、肉体は弱いのです。」しかも、彼らは三度も眠りこけてしまいました。

しかし、もし、私たちがこの箇所を読むとき、自分なら眠らずに祈っていられるのに、弟子たちは信仰が足りないと思うなら、イエスさまに「きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」と言われて、それを強く否定したペテロと同じ過ちに陥っています。私たちは自分の弱さを否定せず、認め、その上で神さまに祈り続けることが出来るように祈り求める必要があります。


私たちが誘惑に打ち勝つ最も有効な手段が「目をさまして祈り続けること」です。そして、私たちは自分自身の力ではそれを為し得ないと認めて「目をさまして祈り続けることが出来ますように」と祈り続けていく必要があります。


◎十字架へ


ゲッセマネの園での出来事の後、再びユダが現れて、イエスさまは捕縛されます。来週はイースターです。十字架と復活のお話は、来週の説教で致します。



説教:菊池 由美子 姉




<新約聖書:マルコの福音書 14章32〜42節

32 ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」

33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。

34 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」

35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、

36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」

37 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。

38 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

39 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。

40 そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。

41 イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。

42 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」